真の父母経 第337話
20 皆さんは、一生を生きていくとき、心情的にどのような家宝を残そうと思いますか。家宝を残さなければなりません。皆さんは、家宝を霊界に残さなければなりません。深刻です。秤に掛けているというのです。ですから、安心して生きることができる生涯ではありません。つらく、唖然とするようなことがあるのです。
お父様が霊界に行って、(地上に)いなくなれば、どうなるでしょうか。み言しかありません。皆さんは、私と出会うことによって、情緒的な面が激動して絡み合い、主体的な立場と相対的な立場がきちんとできていますが、み言は、そのようになっていません。み言を、実体として成し遂げておかなければならないのです。実体がありません。主人が死ねば、すべて分かれます。それで、このように訓読会を世界的にするのです。
なぜ訓読会を強調するのでしょうか。み言の本当の味を感じるようにするためです。お父様と向き合うときよりも、もっと感じなければなりません。私に会うのは一、二時間ですが、このみ言には永遠に会うことができます。その深さを感じてこそ、これから統一教会が天下を一瞬のうちに染めてしまうことができるのです。
21 お父様は、どれほど深刻に訓読会をしているか分かりません。何人もいない中で、み言を語ったこともありました。どれほどもどかしい思いで、何人かの人に対してそのようにみ言を語ったでしょうか。数千人ではなく、数十人を前にして雄大な話をしたのです。そのつらい心情が、どのようなものであったかを考えてみてください。訓読会をすれば、その心情の世界に通じるので、自然と涙が流れ、自然と喉が詰まるのです。訓読会には、そのような力があります。電気で言えば、蓄電されているというのです。誰の言葉でも、そのようになるのではありません。
お父様は死ぬか生きるかという生死の境で語りました。み言が出てくれば、そのみ言は世の中にないみ言であり、天のみ言なので、霊界はそのみ言を中心として、どこに行っても復活の役事を起こすようになります。どれほど深刻な事実かを知らなければなりません。流れていく言葉ではありません。後代の子孫たちに残さなければならない遺言なのです。
22 皆さんが地上で行っている訓読会は、絶対に必要です。ここに合わせて着地をしなければなりません。霊界は、既にそれを行っています。霊界は、一週間以内ですべてのものが定着できるというのです。ですから地上ですべきことがとれほど急がれているか分かりません。訓読会を通して、家庭が定着できる時代に入ってきました。それで、訓読会が重要だというのです。
これは、霊界にいる自分の先祖を解放し、今後の自分の子孫を解放するためのプログラムです。過去、現在、未来は一つだというのです。また、これから皆さんの父母が祖父母の立場に立てば、皆さんと皆さんの二世たちを中心として、三代になります。三代を中心として、地上に橋を架けて越えていくのです。
23 なぜ訓読会をするのですか。訓読会をするのは、み言を語っていたその時が、今よりもっと深刻だったからです。生死の境で、死ぬか生きるかという境地で語ったのです。どれほど深刻で、どれほど精誠を尽くして語った言葉か分かりません。今は、その心情的基準に到達できないのです。その時の心情を回想できる言葉として(み言を)聞くのです。その時に語っていた心情を回想するので、どこかの助詞が一言違っても分かります。そのように深刻です。
それでは、語ったとおりに成し遂げられたのでしょうか、成し遂げられなかったのでしょうか。私自身が成し遂げることができていなければ、成し遂げられなかった責任を負って、延長してでも死ぬ前にそれをやらなければならないと考え、その道を求めているのです。整備しなければなりません。み言だけを残して逝きたいとは思いません。み言以上の実体を残さなければならないのです。
24 訓読会は、涙なしにはできません。父母様のあらゆる心情世界を、皆さんの家庭に安着させるためにも、訓読会は絶対に必要です。これから、家庭的訓読会、教会的訓読会、社会的訓読会、国家的訓読会、世界的訓読会が広がらなければなりません。父母様が闘ってきた過程で霊界が協助しましたが、皆さんも条件さえ立てれば、霊界の協助を受けてサタンが讒訴できる環境を越えていけるので、訓読会は絶対に必要なのです。
25 訓読会は驚くべきものです。み言は生死の境の絶頂で語ったものです。天下に向かって炸裂する心情で語ったものなので、天の心情が湧き出て、霊界が協助するのはもちろん、(その内容が)すべて生きています。
時間圏を超越した永遠のものです。きのうと同時にきょう生きているみ言なので、お父様も、訓読会でみ言を聞けば、それはお父様の言葉ではないことを感じます。その境地に引き込まれていくのです。それが必要です。
26 朝に太陽が昇れば、無限に変化しても、常にその光であり、その世界であり、その力があるので、宇宙が太陽の光の恵沢を受けることに対して、永遠に有り難いと思うのです。それと同じように、訓読会を中心として、天が生きていて、永遠の世界の縁が時間と空間を超越して継続できる、感動的な縁を結ぶことができます。それをどこで結ぶかと言えば、生死の境で結ぶのです。
死なんとする人は生きるのです。死ぬことは「私」がすることであり、生かすことは神様がすることです。そのような深刻な立場に入ってみたことがない人は、流れていくのです通り過ぎてしまいます。根がなければなりません。
27 訓読会を重要視しなければなりません。御飯を食べることよりも重要視しなさいというのです。そして、訓読会に喜びや趣を感じなければなりません。「私は今、どこに向かっているのか、どのように生きているのか」と考えるとき、何点になるかというのです。すべて点数をつけなければなりません。自分自身のことは自分がよく知っているというのです。
その次には、百六十家庭、百八十家庭を祝福して、一つの氏族が入籍するようになるときには、皆さんの姿勢を重要視しなければなりません。
御飯を食べることよりもっとおいしく、今生きることよりも現実的でなければなりません。御飯を食べることは忘れても、訓読会をすることを忘れてはいけません。朝にもやり、昼にもやり、夜にもやらなければなりません。夜に御鈑を食べて時間があれば、またしなければなりません。一日に四回はしなければならないのです。朝起きてやり、昼食の時に御飯を食べてやり、夕食を食べてやり、寝る前にもう一回やりなさいというのです。
そのようにすれば、霊的な生命が成長します。やらなければ、真っ暗で雨の降る日のようであり、霧がかかったように重苦しいというのです。祈る時間よりも、訓読会の時間をより一層重要視しなければなりません。これは、自分を完成させる道です。父母様が完成させる時間だというのです。
28 どのように訓読会をしなければならないのでしょうか。世界的に先に訓読した人たちは、世界の訓読歴史創建時代において、代表的な一つの地域なら地域、国なら国の中心指標、中心支柱になるというのです。世界平和理想家庭教育本部に来て教育を受けた人は、全世界に広がって教育する責任があります。
皆さんは、生活の心配をしてはいけないというのです。たとえ家をすべて売り、土地をすべて売ってしまい避難民のように放浪したとしても、皆さんは、世界の主導的な訓読会の先祖の位置に定着するのです。このようにすることによって、世界化が可能です。祝福世界化が可能だというのです。そのような驚くべき未来があります。谷間ごとに統・班組織のような組織をつくり、それに責任をもった人たちが教育しなさいというのです。自分の部署が霊界の一つの部署のようになり、霊界と差がない一体的基準に合うように教育しなければなりません。
29 訓読会ができる人がいれば、誰でも来てしなさいというのです。み言を聞いて心に感動を受け、自分の行路を正すことができる教えがあるとすれば、訓読会をしなければなりません。できなければ後退するのです。口をいい加減に開いてはいけません。今や、せざるを得ないのです。
面から統、班まで動かせる運動を始めました。世界的です。世界の国々が、韓国を信仰の祖国と思っているのですが、その祖国の領土にいる本国の人たちが、誰よりも訓読会のチャンピオンにならなければなりません。それゆえ、この挙国的なことをするのです。