真の父母経 第304話
8 人間世界に天宙的な理念をもった主義や主張があるとすれば、それは宗教です。宗教以上の主義や主張はないというのです。目に見えない創造主について、「そのお方が私たちの父であり、私たちはその息子、娘である」と言うことができる関係、すなわち、離そうにも離すことができない父子の関係と、その価値を土台として出発したものが宗教です。
したがって、真の宗教は、単にある民族的次元にとどまっていることはありません。未来の国家、未来の世界、ひいては、天宙を見つめることができなければなりません。また、創造主は、創造理想を中心として造られた地と人間を、三位一体的な関係で一つにするという目的をもって働いてきました。正にこのような関係を回復しようとするのが宗教なので、宗教は今まで主従関係を重視し、何が先で何が後かという前後関係などの秩序的関係を結んできました。天倫がそのようになっているのです。
9 真の父母は、永遠に一組しかいません。アダムとエバ、最高の先祖は、二組ではなく、一人の女性と一人の男性です。彼ら人間の先祖が真の父母にならなければならなかったのですが、堕落することによって偽りの父母となりました。ですから、絶対的な父母を再び探し出さなければ、神様の創造理想を実現することはできません。このような論法に照らしてみれば、愛し合う新郎と新婦を中心とした真の家庭、真の理想国家、真の理想世界をつくろうという内容を教えてくれる宗教でなければ、真の宗教ではありません。真の宗教とは、真の父母が現れなかったので、真の父母が現れてこそ、真の家庭を築くことができるという理論をもった宗教です。
宗教は堕落人間の修理工場
宗教の使命は、堕落した人間を神様の子女として復帰し、神様が本来、構想された創造本然の世界を実現することである。真の父母様は、「堕落した人類は、あたかも故障した機械のようになってしまったため、宗教は故障した人間を直す修理工場の使命を果たさなければならない」と語られた。
10 宗教は、天地創造の原則に符合する天倫の道理に従っていきます。すなわち、唯一の神様が天地万物を創造され、一つの目的の世界に向かって摂理してこられるので、その方向に向かって進むように教えるのが宗教です。
ですから、宗教は肉的生活全体を否定します。仏教もそうであり、キリスト教もそうです。次元の高い宗教であるほど、「否定しなさい」というものが多いのです。聖書の言葉も、そのようなことを教えてくれています。堕落した人間は、神様とそのままでは一つになれません。完全な解放を受けなければなりません。一つの目的を追求する人間につくり変えられなければならないのです。そのため、宗教が必要だというのです。
私たちは、盲目的な宗教生活をしてはいけません。神様は必ず公式的な法度を通して摂理されるので、その公式を知らなければなりません。このような公式的な法度を教えてくれる所が統一教会であり、このような公式的な法度が入っているのが統一教会の教えです。統一教会の教えは、過去から現在まで、復帰摂理歴史がどのようにつながってきたかを、はっきりと教えてくれています。これが統一教会の教えの中で最も重要な内容です。
11 宗教は何をする所かと言えば、人をつくり変える所です。どのようにつくり変えるのでしょうか。体と心が永遠に争わない平和の場で、天宙の大主宰を代表する一つの相対的資格と、実体的神様のような人格的資格をもって、永遠無窮に変わらない人間としての価値をもつ生涯を享受できる人間をつくろうというのです。これを、人間だけがするのではなく、神様と合同作戦を行って完遂しようというのが宗教です。
12 人間の本来の主人は、絶対的で統一的な神様です。そして、人間の心は神様に属しているので、磁石のように自然に主体の前に引っ張られていくのです。そのため、人間は高い所をあがめ、絶対的なものを欽慕できる心を啓発してきました。この分野の使命を担ってきたのが宗教です。体よりも強い心の主体性を備えて、この体を完全に主導するようにさせることが宗教の使命です。
13 真の愛さえ臨めば、体と心は自動的に一つになります。神様の愛が臨むようになれば、体と心が完全に一つになるのです。神様は、このような原則を中心として人間を救うために、宗教を立ててきました。宗教世界は、間違った人間を修繕する修理工場です。部品を作り、故障したものを直すためのものが宗教です。
宗教の教えは、体と心を一つにすることに主眼を置いています。いくら修道をし、研究をしても、体と心を一つにしなければ、すべて壊れていくのです。十年どころか、千年努力したとしても、水泡に帰すのです。このような人間の体と心を、どのように統一するのでしょうか。それを教えてくれた聖人がいませんでした。
「私」の体と心を一つにできるのは、真の愛です。神様の真の愛と、なぜ接することができなかったのかが深刻な問題です。
14 人間は、神様の創造理想を実現したのではなく、理想世界を見つめて進む途中で堕落することにより、故障した存在になりました。そのため、人間は自分がどこに向かい、どのような主人に従って、どのような世界に行くべきかが分からず、右往左往しながら生きています。これが現世の人類社会です。
僕がいるとすれば、その僕よりも劣り、万物があるとすれば、万物よりも劣る価値の位置に落ちたのが人間です。これを回復するには、ただ盲目的にすることはできません。再創造原理を通してあらゆる歴史を収拾し、修理工程を経て、再びつくらなければなりません。堕落した人間を再び収拾し、故障した人間を再創造するために修理工場としてつくっておいたのが宗教です。
15 皆さんは、正に故障した人たちです。ラジオが故障すれば、「ピーピー」と鳴るばかりで本来の音は出ません。そのように故障した人間なので、心が行こうとするにもかかわらず、行くことができないのです。このように故障した人間を修理することができるならば、神様は存在されるのであり、それができないとすれば、神様はいらっしゃらないのです。
神様がなぜ、故障した人間たちを修理するための工場を造ったのか、また、修理できる技術者をなぜ送ったのかが問題になります。その修理工場が宗教です。宗教は、人間が堕落したのち、シャーマニズムなどから発展してきました。小さな修理工場から始めて、世界的な修理工場に造り上げてきたのです。
16 世界の文化圏は、宗教思想圏と宗教文化圏から成り立っています。すべての文明の発源地は、宗教です。文明は、宗教を基盤として出てきたというのです。この宗教が、修理工場の責任を担ってきました。そのため、世界は、四大宗教文化圏内にすべて包含されています。この修理工場で腕と脚と首と頭を造ったとすれば、組み立てなければなりません。ですから、この全体を組み立てる総合工場がなければならないのです。その総合工場が、統一教会です。
今日、このような状況で、宗教を統一しなければならないという看板を掲げて現れただけでも、素晴らしいことです。ですから、統一教会に、仏教を信じていた人も入り、キリスト教を信じていた人も入り、儒教を信じていた人も入るのです。また、宗教を信じていなかった人も入ります。それゆえ、統一教会は総合宗教です。総合的に組み立てるのです。名実共に、総合修理工場になったのです。
体と心の統一と自己主管
真の父母様は、人間の堕落によって分かれた心と体の闘いから、人類の葛藤と紛争が始まったと考えられ、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」と強く主張された。そのため、宗教は、体と心を統一した基盤の上で、すべての人間が真の愛を通した犠牲と奉仕の生活を実践することにより、神様のもとの一つの世界を実現することを、最高の目標に置かなければならないのである。
17 皆さんは、体と心を統一しなければなりません。これは歴史的な叫びです。福音の中の福音です。このことが実現されなければ、愛もすべて無駄になるのです。人間の定義を論じることができる、論理的起源の基盤がないというのです。その起源の基盤がない論法というものは、現実と関係ありません。ですから、「私」の心と体において、「完全に統一された」と言えるようにならなければなりません。神様は、「真の愛を通して心と体を一つにしなさい」と言われます。
神様御自身の体と心が一つになっているのは、互いにために生きる愛をもっているからです。体は心のために生き、心は体のために自分以上のものを投入しようとするので、永存できるのです。投入し、さらに投入できるので、理論的な永生の論理が出てくるのです。