自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第66話

イスラム原理主義の国ニジェールで、アフリカを動かす力を持つエリートたちが見守る中、私は天の父母様が六千年間、語ることのできなかった真実を宣布しました。

「独り娘と一つになるとき、天の父母様の祝福を受ける」

この宣布は、まるで雷鳴のごとく、ニジェールを越え、アフリカ全体に響き渡りました。

サミットの最後に、五十四ヵ国を代表する現職の首脳やその公式的な名代が並ぶ中、私はイスフ大統領と共に二千人の参加者全体を代表して、サインをしました。イスフ大統領は、「お母様、私のことを信じてくださり、ありがとうございます」と述べ、このサミットの大勝利を天の前に奉献しました。

私は預言者ムハンマドの苦労をよく知っています。ですから、私はイスラームの最高指導者を、息子としてたくさん受け入れたのです。このたびの行事を通して、イスラームの信仰を持つアフリカの首脳や指導者たちがみな一様に、私が「真の母」であり、「平和の母」であると悟りました。家庭連合の歴史においていまだかって経験したことのない、驚くべき奇跡を目の当たりにした大会でした。

翌日、ついに歴史的なニジエールの国家主催の祝福式およびアフリカ大陸レベルの祝福式の日を迎えました。ムスリム国家で初めて行う国家レベルの祝福式であるため、私はいつにも増して、深刻に精誠を尽くしました。

当日の朝、大統領に会うと、「ニジェールで、御自宅のようによくお休みになれましたか」と挨拶してくれました。私はほほ笑んで、「大統領の温かい歓待のおかげで、よく眠れました」と答えました。前日のサミットについてしばらく歓談した後、私は大統領に案内されて、会場に向かいました。

よく、外交上のプロトコル(儀礼、手順)は、「銃声のない戦争」だと言われます。私は、真の父母を中心としたプロトコルを「ヘブンリー.プロトコル」と名付けました。

祝福式ではもともと、国家を代表してニジェールの首相が祝辞を述べる予定になっていたので、私が入場する際、一緒に入場するのは首相一人の予定でした。ところが国会議長が、「国民を代表する自分は、真のお母様に続いて必ず首相と共に入場しなければならない」と強く求めてきたのです。首相もどうすればよいか分からない様子でした。そのため、首相と国会議長がそれぞれ国家と国民を代表する立場で、私と共に入場するようにプロトコルを調整したのです。真の母を思うニジエールの指導者たちの情熱を垣間見ることのできた出来事でした。

祝福式の会場は、ムスリムの伝統衣装を着たカップルで既にいっぱいでした。そして、当初の心配をよそに、ムスリムの指導者たちもまた、この行事を神聖な祝福式として受け入れたのです。サミットに参加した元.現職の首脳や国会議長、大臣、国会議員、宗教団体のリーダーなどアフリカを動力しているVIPも大挙して参加しました。

祝福式はムスリム固家の主導の中、まず聖水式から始まりました。ィスラー^文化圏では、

聖水を撒くようにしてかけるとキリスト教の洗礼に誤解されかねないため、聖水の入った大きな器を用意して私が手を浸し、新郎新婦のつないだ手に私のその手を重ねて、濡らす形で式を進めました。その光景があまりにも神聖で感動を呼んだのか、聖水式が行われる間中、場内からは感嘆の声が上がり、拍手が鳴りやみませんでした。まさに宗教の壁、人種の壁、文化の壁を超えて、天の父母様を中心とした人類一家族の夢を実現する、祝福結婚の場となったのです0


ニジエールは、国土の八〇パーセントが砂漠です。天はこれほど厳しい環境にあるこの国に義人を立て、祝福をすることのできる環境をおつくりになったのです。今回の大会のために最も苦労した人物の一人が、カッスム議員です。彼は、私が飛行機から降りる姿を見るや否や、自分の願いがかなったといって多くの涙を流した、ニジェールにおける孝子の中の孝子です。ムスリム国家における初の国家レベルの祝福式において、彼は勝利を祝う花束を捧げてくれました。

祝福式が終わるとすぐに、世界中から祝賀と感謝のメッセージが届けられました。

「平和の母、真のお母様がムスリムをかき抱かれました」

ニジェールの国家主催の祝福式は、感動と奇跡のドラマを見ているようでした。行事を終えた後、アフリカ大陸を代表して、アフリカ連合(AU)執行委員会の代表、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の代表であるニジェールの首相、G5サへルの代表、そして、「天一国」の名で家庭連合世界本部事務総長が参加し、協約式を行いました。

この大会は、アフリカ大陸はもちろん、全世界を驚かせ、家庭連合の歴史に永遠に残る大会となりました。困難な環境の中でも、皆が死生決断、全力投球の決意で歩んだために、天が役事せざるを得なかったのです。私も、もう八十歳に近づいています。人間の地上生活には限界があります。しかし、私は独り娘、宇宙の母であるため、私を必要とする所があれば、それがどこであろうと訪ねようとするのです。


アフリカに降り注ぐ激しい雨は、天の喜びの涙

「アフリカで、雨は『祝福』を意味します」

「今、南アフリカに降り注ぐ激しい雨は、天の喜びの涙です」

南アフリカでは、一年を通してなかなか雨が降りません。雨季でも、雨が少し降ってはやんでしまうのです。私が南アフリカのヨハネスブルグに到着した時も、雨は一向にやむ気配がありませんでした。まるでバケツをひっくり返したかのような土砂降りが続いたのです。大会を前にして、みな表情に不安がにじみ出ていました。

「十二月七日、祝福式の日にはやむだろう」

そう思いましたが、その日もやはり、雨が降ったのです。歴史的なアフリカ大陸レベルの祝福式は、まさに困難を極める行事であることを直感しました。

残念なことに、これまで家庭連合と南アフリカ政府の関係は、それほど親密ではありませんでした。実際のところ、南アフリカで友好的な環境が築かれ始めたのは、二〇一八年からと言えます。それまで南アフリカは、家庭連合の宣教地の中で最も厳しい環境にある国の一つでした。

二〇一八年の七月に行われたネルソン.マンデラ元大統領の誕生百周年記念行事と、同年十一月に行われたケ—プタウンでのサミットは、アフリカで唯一のG20国家である南アフリカで、友好的な環境をつくるための取り組みでした。そのような中で、二〇一九年十二月、天が準備された義人のハデべ預言者を通して、ようやく南アフリカの大陸レベルでのサミットと祝福式を行うことができたのです。

FNBスタジアムを舞台に、歴史的な「アフリカ大陸レベルの二十万人祝福式」の瞬間が近づいてきました。しかし暴雨により、行事の開始時間を遅らせざるを得ませんでした。時間が経つにつれて参加者の数はすごい勢いで増えましたが、降り続く雨を避けるため、彼らは屋根が設置されているスタジアムの三階や階段の入り口付近に移動していました。スタジアムをいつぱいに埋めるほどの人々が押し寄せていたのですが、雨のため、なかなか降りてこようとしなかったのです。

私がスタジアムに到着すると、五十四ヵ国を代表して祝福を受ける新郎新婦たちが、タキシードとドレス姿で待っていました。大きな歓声と拍手と共に、「マザー.ムーン、マザー.ムーン」と叫ぶ彼らを見ながら、降り注ぐ大雨はむしろ、喜びと祝福の雨であると思いました。既に現地に到着していたハデべ預言者が私を迎えに出てきたので、私は彼に、「きようも、しっかりやりましよう」と話しかけました。

暴雨などものともせず、会場は祝祭の雰囲気に包まれていました。独り娘、真の母により下賜される歴史的な祝福に感謝し、歌い踊る参加者たち。しかし、行事を準備したハデべ預言者


やスタツフたちは内心、ハラハラしていたことでしょう。

この祝福式には、二十万人が直接会場に来て参加し、インタ丨ネットによる生中継を通して三百万人以上がさらに参加する予定でした。南アフリカの国営放送をはじめ、各種メディアを通してアフリカ全域に生中継され、アフリカの数千万に上る人々はもちろん、ヨーロッバなど、世界中の人々が共に参加する大陸レベルの祝福式でした。

この祝福式のために十万組以上があらかじめ聖酒式に参加し、チケットは既に二十万枚以上売れていたため、会場に集まる人数に問題はありませんでした。しかし、予期しなかった暴雨だけでなく、参加者が乗る予定だったバスニ千台が急にキャンセルになるという事態が、実は起きていたのです。

アフリカの大陸レベルの祝福式となったこの大会には、南アフリカはもちろん、モザンビーク、ザンビア、ジンバブエなど、五十四ヵ国の人々が参加したため、他の国から数日かけて、バスに乗ってきた人も多くいました。ところが、肝心の祝福行事が行われるヨハネスブルグで利用する予定のバスが、式の前日にキャンセルされてしまったのです。ハデべ預言者はその事態を収拾し、追加のバスを確保するために奔走しました。

このような困難の中で、やむことのない暴雨をかき分け、目標人数を達成したのは、まさに奇跡のようなことでした。さらに驚いたのは、祝福式が終わる午後三時まで、二十万の群集が微動だにせず、真摯な眼差しを送りながら行事に臨んだことです。


ハデべ預言者は、式が始まる直前になってもなかなか舞台に上がってきませんでした。あとで知ったのですが、彼は人でぎっしり埋まったスタジアムを私に見せるため、直接ハンドマィクを持って観客席に行き、グラウンドのほうに降りるょうに参加者たちを促していたのです。最後まで最善を尽くす彼に、私は本当に感心しました。

ところが、私が入場する時になって、また困ったことが起きました。私は二階のグリ—ンルームで待機していたのですが、突然、停電が起きたのです。エレべーターも動かなくなってしまったので、私はこの歴史的な大陸レベルの祝福式を迎えるまでに天が味わってこられた数多くの苦難と逆境を思いながら、歩いて会場に向かいました。一階ロビーに到着すると、ハデべ預言者が晴れやかな笑顔で待っていました。

私は才1プンカーに乗って入場することになっていましたが、雨が降り続いていたため、ォープンカーのルーフを半分閉じて入場することになりました。それでも、儀仗隊の敬礼を受けながら入場すると、観客席は熱い歓声であふれ返りました。参加者はみな一様に、「マザー.ムーン!」と連呼していました。

私がスタジアムに入場した途端、驚くべき奇跡が起こりました。数日間続いていた大雨がやんだのです。雨がやむと、観客席の上のほうに残っていた人々がみな続々と降りてきて、スタジアムはあっという間に満席になりました。背後で天の父母様が役事されていることを、私は改めて実感したのです。車のルーフを全開にすると、スタジアムの歓声がますます大きくなりました。本当に驚くような光景でした。

ハデべ預言者が私を見つめ、誇らしげに言いました。

「お母様!スタジアムをいつぱいに埋めました」

私は歴史的な大陸レベルの祝福式を執り行うため、舞台に上がりました。五十四ヵ国を代表して、未婚カップル五十四組、既成カップル五十四組と共に、アフリカの指導者カップル五十四組が舞台に上がりました。彼らのほとんどが、政治指導者や宗教指導者、族長たちでした。

現職の首脳およびその公式的な名代五人をはじめ、アフリカの代表が百人以上、舞台に上がっていました。元首脳六人、国会議長十二人、国会議員百四十人、国王および族長二百十九人、主要な宗教団体のリーダー百二十七人、そして、三十ヵ国から来た八十以上のメディアの代表が、その場を共にしました。

特睾すべきは、南アフリカ最大の部族であるズールー族の王が参加したことです。ズールー族は、南アフリカがヨーロッバの列強国から侵略を受けた際、最後まで抵抗した唯一の部族であり、この部族を中心として、今日の南アフリカ共和国が建てられたのです。そのような英雄が舞台に並んでいたため、祝福式は一層、輝きを増しました。

私は絶望と抑圧に苛まれていた大陸であるアフリカを、希望と憧れの大陸である「神アフリ力」として祝福するため、渾身の力で聖水式を行いました。その際、ハデべ預言者は舞台に上がって聖水の器を持ち、私が主管する聖水式を手伝ってくれました。何百万人もの信徒を擁する宗教団体の指導者として、自身の体面を考えれば、なかなかできることではありません。ただひたすら、「母を助けたい」という思いで喜んで行動する、実に親孝行な息子でした。

その後、聖婚宣布と祝祷を行いました。私はアフリカ大陸のために、真心を込めて祈祷しました。

「アフリカにおける多くの預言者や各国の王、族長たちの願いは、天の父母様に侍る平和な日を迎えることです。この大陸がもはや悲しみの大陸ではなく、天の祝福を受ける大陸になることを願います」

祝祷の途中から、再び雨が降り始めました。南アフリカに滝のごとく降り注ぐこの雨は、天の喜びの涙でした。それは心に積もり積もった恨を、きれいに洗い流す雨でした。

続いて、ハデべ預言者が歓迎の辞を通して、私を切実に証ししてくれました。

「きようは特別な、アフリカ大陸レベルの祝福式の日です。世界の五色人種を一つにされる独り娘、真のお母様を、心より歓迎いたします。きよう、南アフリカはもちろん、アフリカ全土の新しい未来が開かれました。お母様は本当に、真の母であられます」

「ビジョン二〇二〇」の勝利に向けた偉大なフィナーレである大陸レベルの祝福式で、私たちは大勝利を収めました。国家の復帰ができることを信じる人がいない中、誰も歩んだことのない道をかき分けながら、国家の復帰を越え、大陸復帰のために前進し、ついに勝利したのです。実に驚くべき、奇跡の一日でした。


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Luke Higuchi