自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第65話
偉大な母、孝情文化の太平洋文明圏を開く
昔から海は「女性」、特に「母親」を象徴していると言われます。したがって「太平洋」とは、「偉大な平和の母」を意味しているのです。母親は愛の源です。これは、略奪と征服を繰り返す男性主導の文明圏ではなく、とめどなく与える母の心情を表す、孝情文化とも通じます。
太平洋文明圏は、摂理の最後の時を迎え、人類の独り娘、真の母を中心として形成されました。特に、私たちは歴史の中で隠されてきた神様の女性格である「天の母」の立場を取り戻してさしあげなければなりません。神様は今や「天のお父様」としてだけではなく、「天のお母様」までも含めた、完全な「天の父母様」として理解されなければならないのです。人類の縦的父母であられる天の父母様を真の父母として迎え、人類一家族理想を実体化する文明を築かなければなりません。
このような太平洋文明圏時代が出発し、安着するためには、十七億に達する中華圏の人々が必ず共に参加する必要があります。しかしこれまで、中国における統一運動は、現実として、非常に厳しい状況にありました。
ですから、「世界平和華人連合」を中心として、中華圏を一つに束ねることが何よりも急務であり、同連合の世界大会を行うことは、非常に重要な意味を持っていました。そうしてこそ、
太平洋文明圈時代を安着させることができるからです。
二〇一九年十一月、台湾(中華民国)で「世界平和華人連合世界大会」(一一十二日)と、「孝情文化真の愛家庭祝福祝祭(華人祝福式)」(二十三日)が行われました。現在、中華圏は一つの国家を目指していますが、特に一万四千四百人が参加したこの祝福式は、一家族理想による一つの世界に向けた、偉大な出発を意味していました。
私たちは二〇一七年から華人連合会を組織し、その土台の上で、世界平和華人連合を創立しました。これを台湾、カナダ、マレーシア、インドネシア、日本など、八ヵ国で創立した基盤の上で、歴史的な世界大会を開催することになったのです。
三百人以上の華人指導者が参加する中、開会式で基調演説をした監察院(台湾の行政機関)の張博雅院長は、「韓鶴子総裁は、ために生きる生活を白ら実践してこられた偉大な女性です。きょうは、私たちがなかなかお目にかかれない方にお会いできる貴重な機会を得ました」と言って、私を紹介してくれました。
私たちは、祖国である大韓民国を中心とした太平洋文明圏時代安着のための摂理を進めています。今やすベての文明が、太平洋文明に結実するのです。これは天の願いです。もはや略奪し、征服を繰り返す利己的な文明圏ではなく、与えてはまた与える、真の愛と心情に基づいた孝情文化の太平洋文明圏を築いて安着させなければなりません。太平洋文明は、人類歴史における大陸文明と海洋文明、東洋文明と西洋文明、精神文明と物質文明の和合と統一を成しているのです。
私は二〇一七年に韓国、日本、アメリカ、タイなどの国を行き来しながら、数十万人が参加した十二回の希望前進大会を通して、真の愛の心情文化革命である太平洋文明圏を宣布しました。また、二〇一八年にセネガルからスタートしたアフリカサミットを、アジア•太平洋サミッ卜に連結した理由もここにあります。さらに二〇一九年、韓国を中心としてアジア•太平洋ユニオンの創立を提案したのも、このような理由からでした。
世界大会の翌日、同じく台湾で開かれた「孝情文化真の愛家庭祝福祝祭」には、一万四千四百人の華人が夫婦で参加し、会場を埋めつくしました。祝福式場はまさに、喜びがあふれる祝祭の場となりました。
台湾で多くの人から尊敬されている呂秀蓮元副総統が、その場で私を紹介してくれました。
「天を中心とした文鮮明総裁、韓鶴子総裁の活動によって、人種、国境、文明の壁を超え、今や私たちはみな家族になりました。このような行事に参加できたことを光栄に思います」
台湾の大会を準備する過程における、美しくも驚くべき証しがあります。それは、十三歳と九歳の兄妹の活動の証しです。
「真のお母様が『ビジョン二〇二〇』に向けて、高齢なのに全世界を回って活動していらつしゃ
るのだから、私もじっとしていられない」
まず九歳の妹がそう言って、毎日放課後に二十分間、路上でチラシをまいて伝道活動をしたといいます。すると、その道を毎日のように通っていた六十歳のレストラン経営の女性社長が、毎日同じ場所で、同じ時間にチラシを配りながら精誠を尽くす姿を見て伝道されるという、驚くべき役事がありました。
十三歳の兄も後れを取るまいと、一生懸命に活動しました。その結果、現職の里長を含め二十七組を祝福に導き、祝福式に参加させたのです。台湾において里長は直接選挙で選ばれる立場にあり、五千人から一万人を超える住民を代表しています。これはまさに、毎日伝道対象者を訪ねて精誠を尽くし、休むことなく伝道活動をした結果でした。ところが、そうこうしているうちに学校の試験がうまくいかず、思わしくない結果が出てしまったのです。両親も、「学生の本分である勉強をまず頑張るべきではないか?」と心配したのですが、彼は「真のお母様が台湾を訪問された後、頑張って勉強します」と言って、さらに伝道活動に邁進しました。このようにして、驚くべき結果を天の前に奉献し、証しを立てたのです。
彼らは本当に立派で、涙ぐましい活動をしました。これは今後、美しい孝情の伝統になるでしょう。
私たちの天一国の未来には、本当に希望があります。真の母に真っすぐ向かう祝福家庭の二世、三世のひまわり(韓国語で「へバラギ」)、「孝バラギ」は、私にとって、とてもうれしいプ
レゼントです。
特に、台湾の祝福家庭の二世たちによる孝情文化公演は、本当に感動的でした。私は台湾を中心に、中華圏が天の父母様と真の父母に侍る日がすぐに来るだろうと思い、これを大いに祝福しました。
「お母様、台湾の大会をすべて終えたのお気持ちはいかがですか?」
あるリーダーの質問に、私はこのように答えました。
「とても満たされている。本当にうれしい」
誰も歩んだことのない道、平和の母がムスリムをかき抱く
「真のお母様がニジェールを訪問されるなんて、わくわくします」
「大統領はもちろん、全国民が待ちわびています。ついにニジェールを祝福するために来られるのですね」
私が空港に着くと、ニジェール政府が最高の礼を尽くして出迎えてくれました。首相をはじめ、大統領秘書室長、全大臣など、政府の閣僚がみな出てきて、歓迎してくれたのです。
二〇一九年二月、韓国で「ヮールドサミット二〇一九」が開催されたのですが、もともとはその場に、ニシェ^―ルの首相と大臣たち約-一が参加することになっていました。ところが、首相が事情により参加できなくなり、大臣だけが参加したのです。訪問団は真の母とその平和運動に、非常に感銘を受けたようです。
その報告を受けたニジエールの首相は、九月に開催されるサントメ•プリンシぺでの大会に参加することを再び約束したのですが、ニジエールでテロが発生し、またもや参加を断念せざるを得なくなりました。すると首相は特使を派遣し、「真のお母様をニジエールにお迎えして、サミットと祝福式を行いたい」という親書を送ってきたのです。
このような紆余曲折を経た上での出会いだつたので、私は非常にうれしく思いました。空港では首相と共に、ニジェールの国軍儀仗隊が出迎えてくれ、伝統的なダンスの公演も行われました。儀仗隊の敬礼を受けながら、私はそのハンサムで凜々しい姿に感嘆しました。私は真の母です力ら、ニジェールの青年たちを息子と^^て迎えたいという思いも湧きま_^た。
その夜には、ニジェールのマハマドウ•イスフ大統領のたっての願いで、大統領主催の歓迎晚餐会に参加しました。晚餐会には、元.現職の首脳と国会議長、大臣など、:>10.が三百人以上参加しました。ィスフ大統領は私のことを「平和の母」として証しし、韓国に対する心からの愛情と敬意を示してくれました。
二〇一八年一月十八日、セネガルで開催された初のアフリカ大陸レベルのサミットで、私は「神アフリカ」を宣言しました。その宣言に基づいて、六月から私は、アフリカにおいて真の家庭祝福運動をはじめとする、十個の「神アフリカプロジェクト」の協約を国家レベルで結びました。家庭連合世界本部の関係者が首脳一人に会うのに、短くて三日、長ければ十日以上もかかった上、結局、会うことができないこともありました。一日中、食事抜きで、十二時間以上待たされることもあつたといいます。そのように苦労しながら、十ヵ国以上の国と神アフリカプロジェクトに関するMOUを締結したのです。ニジェールともその際、協約を結んでいました。
天の父母様の夢と人類の願いを成し遂げ、人類一家族の夢を実現するに当たって、ニジェールの大統領はとても賢明な方でした。彼の積極的な努力により、ニジェールで「アフリカサミット二〇一九」と国家主催の「真の家庭祝福祝祭および平和祝福式」が開催されることになったのです。これは誰も歩んだことのない道を切り開いて進む、偉大な挑戦であり、神聖な路程でした。こうして、ニジェールの祝福式は国家主催の祝福式、アフリカ大陸レベルの祝福式となったのです。