平和を愛する世界人として 第12話
刀は磨かなければ鈍くなる
定州普通学校を終えたあと、住居をソウルに移した私は、黒石洞 (現在のソウル特別市銅雀区内) で自炊しながら京城商工実務学校に通いました。ソウルの冬はとても寒かったです。零下二○度まで気温が下がることも珍しくありませんでした。そのたびに漢江の水が凍ったりもしました。自炊の家 (下宿) は井戸が深くて十尋 (約一八・二メートル。一尋は六尺で約一・八二メートル)以上もありました。紐がよく切れるので鎖をつないで使いましたが、井戸水を汲み上げる時に釣瓶縄に手がペタペタくっつき、口で息をハーハー吹きかけて水を汲んだものです。
寒さ対策に、持ち前の腕を生かして編み物をよくしました。セーターもたくさん着て、厚手の靴下や帽子、手袋もすべて自分で編んで作りました。私が編んだ帽子はとてもかわいくできて、その帽子を被って外に出れば、みんなが私を女性と思うほどでした。
しかし、真冬でも自分の部屋に火を入れたことはありません。火を入れる余裕はなかったし、極寒の中、家もなく道端で凍りついた体を温める人に比べれば、貧しくても屋根の下で横になって眠ろうとする私の立場が贅沢だと考えたからです。ある日は、あまりにも寒くて、裸電球を火鉢のように布団に入れたまま、その布団をすっぽり被って寝て、熱い電球で火傷して皮膚が剥がれてしまいました。今でもソウルと聞けば、その時の寒さがまず頭に浮かびます。
ご飯を食べる時は、おかずを二品以上お膳に並べたことがありません。いつも一食一品、おかずは一つあれば十分でした。自炊の時の習慣で、私はおかずはたくさん要りません。やや塩辛く味付けしたものが一つあれば、ご飯一杯をさっと平らげることができます。今でもお膳におかずがたくさん並んでいるのを見ると、無性に煩わしい気持ちがします。ソウルで学校に通っていたこの頃、昼食は食べませんでした。山を歩き回った昔の習慣のおかげで、一日二食あれば空腹を気にしないで生活できたのです。そういう生活を三十歳になるまで続けました。このように、ソウルの生活は私に、暮らしのつらさを痛感させました。
一九八〇年代に黒石洞を訪ねてみたことがあります。驚くべきことに、当時下宿した家がそのまま残っていました。私が生活した玄関脇の部屋や洗濯物を広げた庭は数十年前のままでした。ただ、手に息を吹きかけて冷たい水を引き上げた井戸はなくなってしまい、それが残念でした。
「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」これは、その頃の私の座右の銘です。先に身心を鍛錬してこそ、次には国を救い、世の中を救う力も持てる、という意味です。私は、食欲はもちろん、一切の感性と欲望に振り回されないで、体と心を自分の意志どおりにコントロールできるところまで、祈りと瞑想、運動と修錬によって自分を鍛錬しました。そこで、ご飯を一食食べる時も「ご飯よ、私が取り組む仕事の肥やしになってほしい」と念じて食べ、そういう心がけでボクシングもし、サッカーもし、護身術も習いました。おかげで、若い頃よりもかなり太りましたが、今でも相変わらず体の動きだけは青年のように身軽です。
京城商工実務学校に通っていた時、学校の掃除は自分一人でやりました。問題を起こした罰としてやらされたのではなく、人よりも学校をより多く愛したい心がおのずとあふれてきて、そうしたのです。誰かが手助けしてくれるのも申し訳なくて、一人で仕上げようと努力し、人が掃除した場所ももう一度自分でやり直しました。すると友人たちは皆、「それじゃあ、おまえ一人でやれ」と言って、自然と学校の掃除は私の役目になりました。
私はめったに話さない学生でした。他の友達のようにぺちゃくちゃ話すこともなく、一日中一言も話さないこともよくありました。だからなのか、拳骨を食らわしたり、力で脅かしたりしたこともないのに、同級生は私を怖がって、むやみに馴れ馴れしくすることはありませんでした。トイレで並んでいても、私が行けばすぐに場所を空けてくれたし、悩みがあればまず私のところにやって来て、私の意見を聞くということが頻繁にありました。
先生方の中には、私の質問に答えられず、逃げていった人が少なくありません。数学や物理の時間に新しい公式を学ぶと、「その公式を誰が作ったのですか。正確に理解できるように初めから丁寧に説明してください」と先生に噛み付いて、授業を引き延ばしました。そうやってかき回し、追い散らしてはほじくり返し、ほじくり返しするので、先生方はすっかり降参してしまいました。私は世の中に存在する論理を一つ一つ検証して確認するまでは、どんなことも受け入れることができませんでした。「その素晴らしい公式をなぜ私が先に考えつかなかったのか」と思うと、おおっぴらに腹を立てたりもしました。幼い時、夜通し泣いて、我を張って譲らなかった性格が、勉強に対してもそっくりそのまま表れたのです。勉強する時も、祈る時と同じように全精力を傾け、誠を尽くして取り組みました。
私たちはあらゆることに精いっぱいの誠を尽くすべきです。それも一日、二日ではなく、常にそうすべきです。刀は一度使っただけで磨かないと、切れ味が悪くなってしまいます。誠も同じです。毎日刀を鋭く磨き、刀を研ぐという心で、絶え間なく継続すべきです。どんなことでも誠を尽くせば、我知らず神秘の境地に入っていくようになります。筆を握った手に誠心誠意の一念を込めて、「この手に偉大な画家が降りてきて私を助けよ」と祈りつつ精神を集中すれば、天下の耳目を驚かすような絵が生まれます。
私は発声練習に誠を尽くしました。人よりも速く、正確に話すためです。小さな部屋に籠もって、「カーギャーコーギョー、カルナルタルラル……」と声を出して練習しました。「フィリリーリックー」と、話したい言葉を雨あられのように降り注ぐ訓練もしました。その成果で、ひとこと人が一言言う問に十の言葉を言うほど早口で話せるようになりました。すっかり馬齢を重ねた今でも、私は本当に言葉が速いのです。速すぎて聞き取りにくいと言う人もいますが、気が急くので到底ゆっくり話すことができません。胸の内に話したい言葉がいっぱいあるのに、どうしてゆっくり話せるでしょうか。
そういう面で、私は話が大好きだったわが祖父によく似ました。祖父は奥の間に集まった来た客を相手に、三時間でも四時間でも時の経つのも忘れて四方山話に花を咲かせました。私もそうです。心が通う者たちと席を共にすると、夜遅くなろうと明け方になろうと、そんなことはどうでもよくなります。胸中に積もった言葉がすらすら流れてきて止めることができません。食事の時間も迷惑に思うくらい、話をするのが好きで好きでたまりませんでした。話を聞く方も力が入って、額にぶつぶつと汗が吹き出します。それでも私が汗をたらたら流して話し続けるので、「もう帰らなければ……」とどうしても言い出せずに、私と一緒にうとうとしながら、夜を明かすのが常です。