平和を愛する世界人として 第4話

誰とでも友達になる

 

私は心に決めたことがあれば、すぐに実行に移さなければ気が済まない性格です。そうしないと夜も眠れませんでした。やむなく夜が明けるのを待たなければならないときは、 晩中まんじりともしないで壁をしきりに掻きました。掻きすぎて壁がすっかりぼろぼろになり、夜の間に土の屑がうずたかく積もるほどでした。悔しいことがあれば夜遅くでも外に飛び出して、相手を呼んでひとしきり喧嘩もしたので、そんな息子を育てる両親の心労は重なるばかりでした。

特に、間違った行動は見過ごしにできず、子供たちの喧嘩があると、まるで近所の相談役にでもなったかのように、必ず間に入って裁定し、非のある方を大声で怒鳴ったりしました。ある時は、近所で勝手気ままに横暴を働く子供のお祖父さんを訪ねて、「お祖父さん、お宅の孫がこんなひどいことをしたので、ちゃんと指導してください」とはっきり忠告したこともあります。

行動は荒っぽく見えても、本当は情が深い子供でした。遅くまで祖母のしぼんだおっぱいを触って寝入るのを好みましたが、祖母も孫の甘えをはねつけはしませんでした。嫁に行った姉の家に遊びに行き、姑をつかまえて、餅を作ってほしい、鶏を屠ってほしいとねだっても嫌われなかったのは、私の中に温かい情があると大人たちが知っていたからです。

とりわけ私は、動物を世話することにかけては並外れていました。家の前の木に巣を作った鳥が水を飲めるように水たまりを作ってやったり、物置から粟を持ってきて庭にサーッと撒いたりしました。初めは人が近づくと逃げていった鳥たちも、餌をくれるのは愛情の表れだと分かったのか、いつの間にか私を見ても逃げなくなりました。魚を飼ってみようと思って、魚を捕って水たまりを作って入れておいたことがあります。餌も一つまみ入れてやりましたが、次の日、起きてみると皆死んでいました。きちんと育てたかったのに、力なく水に浮かぶ姿を見ると、ひどく胸がふさがって一日中泣きました。

父は数百筒もの養蜂を手がけていました。大きな蜂筒に蜂の巣の基礎になる原板の小草を折り目細かくはめ込んでおくと、そこにミッバチが花の蜜を運んできて、蜜蝋を分泌し、巣を作って蜜を貯蔵します。好奇心旺盛だった私は、ミツバチが巣を作る様子を見ようと蜂筒の真ん中に顔を押し込んで刺されてしまい、顔が挽き臼の下に敷く筵みたいに腫れ上がったことがあります。

蜂筒の原板をこっそり引き抜いて隠し、きつ叱られれたこともありました。ミツバチが巣を作り終えると、父は原板を集めて何層にも積んでおくのですが、その原板にはミッバチが分泌した蜜蝋が付いていて、油の代わりに火を付けることもできました。ところが、私はその高価な原板をカランコロンとひっくり返しては、石油がなくて火を灯せない家々に、蝋燭に使ってくださいと分け与えたのです。そんなふうに自分勝手に人情を施して、父からこっぴどく叱られました。

十二歳の時のことでした。その頃は娯楽といえるようなものがなくて、せいぜいユンノリ(朝鮮半島に伝わるすごろくに似た遊び)か将棋、そうでなければ闘牋(花札が普及する前に行われていた賭博の一種)があったぐらいです。

私は大勢で交わって遊ぶのが好きで、昼はユンノリや凧揚げなどをし、夕方から近所の闘牋場に頻繁に出入りしました。闘牋場で一晩過ごせば百二十ウォンほどのまとまったお金は稼げます。私は三ゲームもやればそれだけ稼ぎました。陰暦の大みそかや正月十五日頃が闘牋場の最盛期です。そういう日は、巡査が来ても大目に見て、捕まえることはしません。私は大人たちが興じている闘牋場に行って、一休みしてから、明け方頃にぴたっと三ゲームだけやりました。そうやって稼いだお金で水飴を丸ごと買って、「おまえも食べていけよ。おまえもどうだ」と言って、近所中の子供たちに分け与えました。そのお金を絶対に、自分のために使うとか、悪事を働くのに使ったりはしませんでした。

義理の兄が家に来れば、財布のお金を自由に出して使いました。そうしていいとあらかじめ許可をもらっていたからです。義理の兄のお金で、かわいそうな子供たちに飴玉も買ってあげ、水飴も買ってあげました。

どの村でも、暮らし向きがいい人もいれば悪い人もいました。貧しい友達が弁当に粟飯を包んでくるのを見ると、やるせなくて自分のご飯が食べられず、友達の粟飯と交換して食べました。私は、裕福で大きな家に住む子供よりは、生活が苦しくてご飯を食べられない子供とより親しかったし、何としてでもその子の空腹の問題を解決しようとしました。それこそが私の一番好きな遊びだったからです。年齢は幼くても、すべての人の友達に、いや、友達以上にもっと心の奥深くでつながった人にならなければならないと思いました。

村人の中に欲の深い男性が一人いました。村の真ん中にそのおじさんのマクワウリ畑があって、夏になると甘い匂いが漂い、畑の近くを通る村の子供たちは食べたくてうずうずします。それなのに、おじさんは道端の番小屋に座って、マクワウリを一つも分け与えようとしません。ある日、「おじさん、いつか一度、マクワウリを思いっ切り取って食べてもいいでしょ」と私が尋ねると、おじさんは「いいとも」と快く答えました。そこで私は、「マクワウリを食べたい者は袋を一つずつ持って、夜中の十二時にわが家の前にみんな集まれ!」と子供たちを呼び集めました。それからマクワウリ畑に群れをなして行き、「みんな、心配要らないから、好きなように一畝ずつ全部取れ!」と号令をかけました。子供たちは歓声を上げて畑に走って入っていきあっという間に数畝分を取ってしまいました。その晩、おなかの空いた村の子供たちは、萩畑に座って、マクワウリをおなかが破裂しそうになるくらい食べました。

次の日は大騒ぎです。おじさんの家を訪ねていくと、蜂の巣をつついたようでした。おじさんは私を見るやいなや、「この野郎、おまえがやったのか。マクワウリの農作業を台無しにしたのはおまえか!」と言って、顔を真っ赤にしてつかみかからんばかりの勢いでした。私は何を言われても動じないで、「おじさん、思い切り食べてもいいと言ったじゃないですか。食べたくてたまらないみんなの気持ちが僕にはよく分かるんです。食べたい食べたいと思っている子供たちに、マクワウリを一つずつ分けてやるのと、絶対に一つもやらないのと、どっちがいいんですか!」と問い詰めました。すると、かんかんになって怒っていたおじさんも、「そうだ、おまえが正しい」と言って引き下がりました。

 

Luke Higuchi