自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第8話

タルレ江の伝説、天の摂理を宿して

「お母さん、平安道ってどういう意味?」

好奇心旺盛だった私は、気になることがあると母の元に走っていき、何でも尋ねました。そ

の都度、母は丁寧に教えてくれました。

「平安道は、平壌と安州から一文字ずつ取って付けた名前よ」

「どうして一文字ずつ取ったの?」

「どちらも、大きな街だからよ」

私の故郷である安州は、昔から軍事的にも政治的にも非常に重要な地域でした。また、広い

平野があり、農業が栄えて食糧にも恵まれ、古朝鮮時代から大きな都市を築いていました。

母が生まれた定州は、私の夫、文鮮明総裁の故郷でもあります。そこから南に向かって清川江

を渡ると、すぐに安州です。

昔、「薩水」と呼ばれた清川江は、高句麗時代に乙支文徳将軍が隋の大軍を撃破した「薩水

大捷」でも有名です。この川を境にして、平安北道と平安南道に分かれているのです。安州か

ら、北にわずか六十数キロ行けば夫の故郷である定州があり、南に七十五キロ行けば平壌があ

ります。

父の韓承運(清州韓氏)は、陰暦の一九〇八年十二月二十九日、その平安南道安州郡の大尼面

龍興里九十九番地で、父.'韓炳健と母.崔基炳の間に、五人兄弟の長男として生まれました。数

えで十一歳になる一九一九年、萬城公立普通学校に入学しています。その学校は四学年の時に

中退しましたが'勉強がよくできた父は学びへの情熱を抑え切れず、一九二三年に私立の育英学

校に入学し、一九二五年に卒業しました。数えで十七歳の時でした。

父は卒業後、教師となり、約十年間、母校の育英学校で子供たちを教え、解放直後の混乱期

においても一九四六年まで、萬城公立普通学校の教頭として働きました。

私が父と一緒に過ごした期間は、とても短いものでした。しかし、その温厚な人柄と風貌は、

私の記憶に深く刻まれています。細やかで慎み深い性格でしたが、がっちりとした体格で、

体力も秀でていました。村の人が田んぼの中の大きな岩をどけようと苦労しているのを目にすると、

すぐに駆け寄って、ひょいと岩を持ち上げてしまったというほど、力持ちでした。

キリスト教の信仰に篤かった父は、教員生活と信仰生活に真摯に取り組む中、家を空けるこ

とが多くありました。李龍道の新イエス教で中堅幹部として忙しく過ごし、日本警察からの迫

害と監視を受けながらも、ひたすら神様に仕える信仰と心情で生活していました。

母の洪順愛は、一九一四年の陰暦二月二十二日、平安北道の定州で生まれました。敬虔なキ

リスト教信者である父・洪唯一(南陽洪氏)と母.趙t兀模(寧邊趙氏)の間に、一男一女の第一子

として.誕生しています。

祖母の趙元模は、朝鮮時代に裕福で学のあった趙漢俊の直系子孫で、官職を担った人々の住

む瓦屋根の家が立ち並んだ村で育ちました。

その昔、定州を流れるタルレ江に一本の橋が架かっていました。大きな石を一つ一つ積み上

げて造った丈夫な橋でしたが、月日が経つにつれ古くなって崩れ始め、渡ることができなくな

ったといいます。そして、人々が日々の生活に追われ、そのまま放置していたところ、ある日

洪水によって大量の土砂が押し寄せ、橋は完全に崩れて、川底に沈んでしまったのです。

ところで、その地域に昔から伝えられてきた予言がありました。

タルレ江の橋に岩を削って立てた将軍標が埋もれれば国がなくなり、それが姿を現せば朝

鮮の地に新天地が広がるであろう。

当時、中国の使臣が鴨緑江を越え、漢陽(現在のソウル)に行こうとすれば、タルレ江を渡ら

なければならなかったのですが、橋が壊れてしまったため、渡る方法がありません。国にもお

金はありませんでした。そこで、橋を架けてくれる人を探している旨のお触れを出し、募集し

たのです。!

その時、趙漢俊が、持っている財産をすべてはたき、石橋を新たに架けたのです。四角い石

を隙間なくしっかりと積み上げ、その下を船が通れるほど、大きな橋を造ったといいます。

新しい橋を架けるのにほぼ全財産を使った趙漢俊ですが、手元に三文ほどの小銭が残りまし

た。そこで、翌日行われる、橋の竣工式に履いていく草履を買ったのです。その晚、夢に白い

服を着た老人が現れて言いました。

「漢俊よ、お前の功は大きい。そこでお前の家門に天子を送ろうとしたのだが、残しておい

た小銭三文が天に引っ掛かったので、王女を送ることにした」

夢から覚めた趙漢俊が不思議に思い、タルレ江に行ってみると、丘の上にそれまでなかった

弥勒仏の石像が立っているのが見えました。その弥勒像は非常に霊力が強く、誰一人として、

馬に乗つたままその前を通り過ぎることはできませんでした。馬から降り、お辞儀をして、よ

うやく通ることができるのです。村の人々は、不思議なことがあるものだと言いながら、その

上に屋根を建て、弥勒像が雨風に当たらないようにするなど、心を込めて祀りました。

このように、忠誠を尽くした趙漢俊の家門を通して、天は信仰心の篤い祖母.趙元模を送って

くださり、その祖母から、さらに一層深い信仰心を持つ母の洪順愛が誕生しました。韓半島に

神様の愛する独り娘を誕生させるための天の摂理と精誠が、はるか昔、先祖の趙漢俊から始ま

り、私にまで綿々と続いてきたのです。

Luke Higuchi