自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第7話

第二章

私は独り娘としてこの地上に来ました

深く根を張った木は風に倒されず

目を閉じると、トウモロコシ畑を荒々しくなぎ倒していく風の音が聞こえます。それは、荒

野を走る何千頭もの馬の蹄の音、大陸を力強く駆けた高句麗の戦士の気迫あふれる鬨の声を思

わせます。静かに心の耳を澄ますと、また別の、懐かしい音が聞こえてきます。

「ウッコッコー……」

山の中腹にある、高い木の枝に巣を作ったコノハズクの鳴き声が、かすかに聞こえます。夏

の夜、母の手を握ってうとうとしている時に耳にした鳴き声が、今も私の耳元で響きます。

私の故郷、平安南道安州の美しい風景や、自然が奏でる音色は、七十年以上経っても、私の

心の中にそのまま残っています。必ずまた訪ねたい、慕わしい故郷です。私がいつかは帰るベ

き、本郷の地です。

私が生まれる時、父の韓承運は、単に子を授かる兆しというょりも、啓示というべき夢を見

ました。それは、松が鬱蒼と茂る林の中で、清く美しい日の光を浴びながら、二羽の鶴が仲睦

まじく過ごしている夢でした。そのため、父は私に「鶴子」という名前を付けたのです。

私は清州韓氏であり、本貫(始祖の出生地)は忠清北道の清州です。忠清とは「心の中心が清

い」という意味であり、清州とは「清い地」という意味です。川や海の水が清く澄んでいる

と、泳いでいる魚はもちろん、底のほうまではっきりと見通せるように、その地域に住んで

いた私の先祖は、心が清く、謙遜な人々でした。清州韓氏の「ハンjには、様々な意味がありま

す。「一」(ハナ)という意味では神様を象徴し、「大きい」という意味では宇宙万物を懐に抱

きます。また、「満ちる」という意味も持っています。

清州韓氏の始祖は、高麗建国の功臣の一人だった韓蘭です。彼は、清州の方西洞に務農亭と

いうあずまやを建てて広い土地を開拓し、人々が農業を営めるようにしました。のちに高麗を

建国することになる王建が、後三国の争乱の際、後百済の甄萱を討ちに行く途中で清州を通る

のですが、その時、韓蘭は王建を出迎え、十万の兵の腹を満たすとともに、自ら一緒に戦場に

向かい、大きな功を上げることになります。韓蘭はその功によって高麗の開国壁上功臣に上り

詰め、その名を末長く轟かせます。その彼から三十三代を経て生まれたのが、私です。

イエス様は三十三歳で十字架にかかり、亡くなりました。三十三年の生涯の間、命を懸けて

人類を救おうとされましたが、イエス様がどのような方か分からなかった当時の無知なイスラ

エル民族によって、十字架にかけられてしまったのです。

しかし、イエス祿は「また来る」と言って、再臨することを約束されました。その時、十字

架にかかったのは、イエス様と左右の強盗の三人です。その中で、イエス様は右側の強盗に、

「あなたはきよう、わたしと一緒にバラダイスにいるであろう」(ルカによる福音書二三章四

三節)と約束して、天に昇られました。三という数字は、天と地、そして私たち人間を示しており、

天理法度の完成、完結を意味します。

韓民族はもともと、星座を研究して天の運勢を解き明かした、聡明な東夷民族でした。紀元

前から農耕文化を築いて繁栄した民族であり、天を崇め、平和を愛する選民でした。この東夷

族である韓民族が、韓氏王国を建てたというのです。歴史的に見ると、古朝鮮時代以前に韓氏

がいたという記録があるといいます。これを神話だといって贬める意見がないわけではありま

せんが、檀君神話には、韓民族を天孫民族として選んだ神様の深いみ意が込められています。

また、韓民族は倍達民族ともいいますが、倍達とは明るい国、光の当たる国、天を崇める民族

を意味しています。

しかし、韓民族が歩んできた五千年の歴史を思えば、誰もが胸を痛めずにはいられません。

先天的に平和を愛する善良な民族であるにもかかわらず、絶えず他の民族の侵入を受けてきた

のです。そのたびに韓民族は無慈悲に踏みにじられ、厳しい寒さの中、裸の木のように哀れな

姿で過ごしてきました。しかし、いくら踏まれても、雑草のようにその根は決して失いません

でした。知恵と忍耐心で外敵を退け、誇らしい韓民族の国を固く守ってきたのです。

神様はなぜ、善良なこの民族を、これほどの大きな試練と苦痛を通して鍛錬されたのか、考

えずにはいられません。それは、韓民族に非常に大きな使命を担わせるためでした。聖書にも

そのような歴史が記されています。神様はノア、アブラハムなどの中心人物を立てて摂理を導

いてこられながら、イスラエル民族を選民として立て、イエス様を送られました。しかしイス

ラエル民族は、イエス様を十字架にかけて死なせてしまうという愚を犯したのです。

それから二千年後、天は韓民族を選び、独り子と独り娘を送られました。これは、神様の愛

を最初に^Kけることのできる唯一の男性と唯一の女性を意味しています。韓半島に独り子と独

り娘を誕生させ、世界を救い、人類を愛によって導くようにすることが神様のみ旨でした。韓

民族が長く凄絶な苦難と苦痛を通して、たとえ裸の木にはなったとしても、決して朽ち果てた

枯れ木とはならなかったのは、このような崇高な使命が与えられていたからです。韓民族は、

天が選んでくださった真の選民なのです。

めん鳥が雛を抱くように情にあふれた村

私が生まれるずいぶん前から、地球は美しい星ではなく、もだえ苦しむ星となっていました。

世界中が、互いに殺し合う戦場となり、人間が人間を搾取する不平等の時代を迎えていまし

た。極度の混乱と暗闇に覆われ、どこにも希望の光を見いだすことはできませんでした。

韓半島は一九〇五年の乙巳保護条約から一九四五年に解放を迎えるまでの四十年近く、暗鬱

な日本統治時代にあり、言葉で言い尽くせないほどの苦難を経験しました。

その凄絶な抑圧の時代の最中である一九四三年二月十日、陰暦では一月六日の明け方、私は

平安南道の安州で生まれました。現在は安州市七星洞という地名になっていますが、当時の住

所、「安州邑新義里二六番地」を、今も鮮明に覚えています。私の故郷の村は、それほど田

舎ではありませんでしたが、まるでめん鳥が翼の下でそっと雛を抱くように、温かく、情にあ

ふれた村でした。ほとんどがわらぶき屋根の家でしたが、私が生まれたのは広い板の間もある

、瓦屋根の家でした。

家の裏には、栗や松の木が茂る小さな山がありました。季節に合わせてきれいな花が咲き、

様々な鳥のさえずりが、まるで合唱をしているかのように聞こえてきました。暖かな春には、

家々の垣根の間から黄色いレンギョウが明るくほほ笑みかけ、裏山ではツツジが真っ赤に咲き

乱れました。村には小川が流れ、水がカチカチに凍る真冬の時期以外は、いつもちよろちよろ

と愛らしい音を立てていました。

私は、鳥のさえずりと同じように、その川の音を自然の合唱として受け止めながら育ちまし

た。今も思い浮かべると目頭が熱くなるほど、温かな情感を抱かせてくれる、母の懐のような

故郷です。

裏庭には、トウモロコシがぎつしり植えられた小さな畑がありました。夏も暮れになると卜

ウモロコシがよく熟し、皮が裂けて細長いひげの間からツルツルした黄色い粒が顔を出します。

天気の良い昼下がり、母はよく、ぎつしりと実の詰まったトウモロnシをゆでてくれました。

それを竹のかごに入れて板の間に置くと、近所の人たちを呼びにいきます。すると、周りの家

から一人、二人と戸を開けて入ってきては、床に座り、トウモロnシを分けて食べるのです。

村の人々は感謝しながら食べていましたが、その表情はあまり明るいものではありませんで

した。今考えてみれば、みな暮らしに余裕がなくて飢えをしのぐこともままならず、心と体が

疲れ切っていたのでしょう。

私もその間に入り込み、小さなトウモロコシを一つ、何とかむしって食べようとしました。

しかし、なかなかうまくいきません。すると母がにこりと笑い、黄色い粒を指で取って、私の

口の中に入れてくれるのです。その甘いトウモロコシの粒が口の中をあちこち転がっていたのが、

まるで昨日のことのように思い出されます。

Luke Higuchi