イエス様の生涯と愛 第18話

ヨセフの立場

人類の先祖となるイエス様を生み、人類の母の立場にあるマリヤを、ヨセフは天使長の立場で敬って侍らなければなりませんでした。ヨセフは僕の立場なので、サタンがエバを誘惑して不倫の愛の関係を結んだことを蕩減復帰しなければならないのです。このような立場にあるマリヤとヨセフは、絶対に一つになってはいけないのです。

これは原理的に見るとき、否定できないことです。それゆえヨセフはマリヤに、誰の息子を生もうが尋ねる権限がないのです。それでもヨセフがマリヤを迎えて暮らしながら、これは誰の子かと言ったりして、いつもけんかをするので、ヨセフの親戚や周囲の人たちがこれを知らなかったでしょうか。それでなくても、子を宿した処女を迎え入れて暮らし、数多くのけんかをするので町内の人たちはみな、変な目つきで眺めざるを得なかったことでしょう。

それだから、周囲の近所の人たちが口うるさかったのです。それゆえ親戚たちもヨセフに、「マリヤのおなかにいる子が、お前の子なのかどうなのかも分からないなんて、なんというできそこないなんだ」と、からかったでしょうか、からかわなかったでしょうか。あらゆることが起きたでしょう。それだけではなく、このような事実を両親までも知り、その親戚すべてが知ってしまったのです。

それでは、アダムの代わりとして来られたイエス様が、この地上において探し出さなければならないものは何でしょうか。正に堕落していないエバを探すことです。清い血統に生まれたエバのような新婦を探さなければならないのです。そうして天使長に侵犯されない父母の基準を決定することがイエス様の使命だったのですが、この使命を果たせずに亡くなってしまったのです。

それができなくなった原因は何でしょうか。父と母が責任を果たせなかったからです。イエス様は生まれる前から近所でも周囲の親戚にからかわれ、追われざるを得ない立場で生まれました。そしてイエス様は物心がついてから、ヨセフとマリヤの仲が良くないことを知って、その顔色ばかりをうかがいながら育つようになったのです。また周囲にいる親戚もみな、イエス様のことが理解できなかったのです。

本来はヨセフの家庭において、イエス様は神様のひとり子であり、天の王子であるがゆえに、ヨセフとマリヤは心を合わせて、将来この地上にメシヤとして登場できるように新しい家庭を建設できる、全面的な土台を築いておかなければならないのです。

神様が四千年間にわたってイスラエル民族を育てて準備した祝福の基台の上で、イエス様が誕生されたので、ヨセフとマリヤが一つになってイエス様を金城鉄壁のように保護し、彼のために命を懸けて戦っていたら、イエス様が悲惨に亡くなることはなかったでしょう。そのようになっていれば、イエス様の三年間の公生涯路程というものは必要なかったはずでした。

もしそのようになっていたならば、イエス様の新婦は自分の親戚の中から選ぶことができたはずでした。本来は愛する十二弟子も、ひどく愚かな卑しい人たちを選びたかったのではありません。

本来ヨセフとマリヤは、どうすべきだったのでしょうか。神様の息子として生まれたイエス様を中心として、その家から天の法度を立てなければならなかったのです。そのためにはヨセフとマリヤが、神様の息子として生まれたイエス様に、真心を込めて毎朝食事のお膳を差し上げ、朝夕に敬拝を捧げなければならないのです。ところが、そうでなくても町中にうわさが立ち、仲が良くないのに、そのようにできたでしょうか。

Atsuki Imamura