御旨と海 第17話
先生は議員と良い友達になる方法を知っています。他の人がやるような普通のやり方ではいけません。他の人々がやるような当り前のやり方ではいけません。直接行って、戸を開け「あなたに話がある」と言います。彼は驚いてどういう人なのか調べにやってきます。そこで皆さんはどうしてやってきたのか、どうして話したいと思ったのかを彼に言います。皆さんには重要で緊急を要するメッセージがあります。もし秘書が邪魔をしようとしたら、それに対して怒鳴りつければ良いのです。皆さんは短い時間内に彼らと友人になれなければなりません。
一度、先生はある人を何度も何度も訪問したことがあります。その人は何度も何度も先生のことを嫌いだと言いました。それでも先生は、彼が考えを変えて先生を好きになるまで訪問し続けました。何回、その人を訪問したと思いますか。先生は一年と六カ月間、彼を訪問しました。何度も何度も訪問しました。最後には彼の家族全員が先生の来るのを待ち望むようになりました。
チャンピオンが必要ならば、皆さんの方から出かけていって見つけ出さなければなりません。もし先生が州の責任者ならば一週間その州全体を回り続けるでしょう。皆さんは始終動き回っていなければなりません。皆さんはいつもそうでなければなりません。その後で始めて何かを期待することができます。いつも動き回っていなければなりません。出かけていって人を訪問し、それからその人達を招待します。そういうことがいつもなされていないといけません。
皆さんは路傍伝道したことがありますか。路上で自分がどういう顔をしているか、皆さんは知っていますか。自分がどういう姿をしているか知っていますか。皆さんは自分のことをもっと知る必要があります。自分の顔あるいは性格が人を引きつけるものであるかどうか、知る必要があります。もし黙って座っていたならば、人々は皆さんが半分居眠りしていると思うでしょう。目を覚ましているのだということを人々に知らせるためにも、皆さんは目玉の動かし方も研究しなければなりません。目は敏速に動く必要があります。動作が伴えばさらに良いでしょう。ただじっと座っているだけでは駄目です。皆さんの体は目の動きに合わせて活動していなければなりません。これが自分の外見を改善する基本的な方法の一つです。
そうすれば人々は皆さんが活気に満ちていると思います。先生は十代の時、友人を演台の代わりに使って、即席で演説する事がありました。何人かの友人達も先生がやっていることを知ってついてきました。彼らはそういうことをする先生が好きだったのです。演説が終わったら一人やってきて「もう一つ演説するつもりなんだろう。それなら私の肩の上に乗るといい」と言いました。彼らは何とも思わなかったのです。何でも自然に物事を行えば許されるのです。
皆さんが州の責任者で、ある素晴らしい女性を見つけたとすると、皆さんはその女性の背中に立つことさえ許されます。皆さんがとても誠実で、しかも不自然でなければ彼女は何とも思わないでしょう。間違いなく人々は皆さんの演説を聞くために立ち止まります。ある人々は近づいてきて、皆さんが女性を酷使していることについて抗議するかもしれませんが、皆さんは「あなたは私がやっているのと同じことをやれると思いますか。それならやってみるとよい。もしできるならばあなたは何のために抗議していることになりますか」と言うことができます。人の注意を引く必要に迫られているならば、そういうこともできなければなりません。先生にはあらゆる種類の友人がいます。どこに行こうとも先生には友人がいました。実際あまりにもたくさん友人がいて、彼らは先生についてくると言い張ったのですが、先生は忙しすぎて、誰とでも友人になるわけにはいかなったのです。そのようにして先生は日々を過ごしました。だからこそ、どういう事情があろうとも神様の御旨をなすためにできないことはないということを、先生は知っています。自分自身の物語、自分自身の小説を作ってそれを演じ、そしてその小説の中で英雄になります。自分のシナリオに従って、実生活の中でそのドラマを演じます。それが人生だと考えます。どういう行動をするかも推測してみます。皆さんがある行動をどのように行って、それに対して他の人達がどのように反応するか、それからその後、皆さんがどうするのか。それを計画し実行します。先生はそういう精神を持っています。だからアメリカへ来て最高責任者の中の何人かを訪問することができます。
先生がやらなければならないことを想像してください。アフリカに行けば先生はじっとしてはいません。それは悪いことではありません。先生は物事をかき回します。そして先生が行く国には何か良いものがやってきます。皆さんはどうなのですか。皆さんは何軒の店を将来持ちたいですか。もし、百軒の店を持ちたいのであれば、その店を運営できる人をその店の数に相当する人数分だけ少しでも育てなければなりません。そうすれば皆さんは全体の運営が行えます。食口達は今、ビジネスをたくさん行っています。先生は、一つひとつのビジネスを自分で運営するならば、必ずそれを成功させることができるということを知っています。失敗するはずがないのです。以前ビジネスをやったことがなく、今やりながら勉強している食口は、最初のうちはある程度損をするものだということも、先生は分かります。それは理解できますね。最初の二、三年はそうでしょうが、早くそれを覚えて成功させなければなりません。
もし先生が講師をやるとすれば人々はやってくると思いますか。皆さんは先生が彼らを説得し、彼らの心を感動させることができると思いますか。「お父様、それは良い考えです。どうしてそうしないのですか」と皆さんは独り言を言うかもしれません。どうして先生にはそれができないのでしょうか。皆さんはその理由を知っています。それが誰の責任分担であるか、皆さんは知っています。先生はそういうことはずっと以前に既に経験しています。先生は今も皆さんに教えていますが、どのようにしたらそれを成し遂げることができるかについては、既に皆さんに教えたはずです。晩餐会を開き、毎日毎日、人々を訪問するのが誰の責任分担であるか、皆さんは知っています。皆さんは前進し、心の底からこれらのことを行うのです。熱心に各家庭を訪問し、そこの人達の面倒を見ます。そうすれば彼らは心を動かされます。州の責任者が一日中、部屋に閉じこもっていることができるなどとは、先生には理解できないことです。神学校を卒業した姉妹達も同じです。ただじっと座って人々が皆さんを招待するのを待っていてはなりません。立ち上がって出かけていき、平静さと魅力でもって招待してもらわなければなりません。
皆さんは人を追いかけていかなければなりません。いつも小者ばかり追いかけていては駄目です。摂理を早く進めるためには大物をつかまなければなりません。皆さんは有名になりたいですか。ただじっと座っていることができますか。もし他の人達と同じような生活を送っているならば、皆さんは絶対に有名にはなれません。違った生活をして他の人達よりもっと偉大にならなければなりません。どんな人よりもより多くのことをし、より多くの努力を払わなければなりません。
皆さんは統一教会のチャンピオンですか、それとも統一教会のメンバーですか。自分の手、足、腕全部を利用しないチャンピオンなんていません。先生は皆さんが変わるのを待ち望んでいます。皆さんは神学校を卒業しました。一体いつ、皆さんは変わるのですか。皆さんが今までとは違った自分になるには、あと何年かかりますか。いつ皆さんは違う人間になるのですか。これは重要な質問です。最初に自分から何かをやることなしに、ただ高い地位に置かれることを期待しているだけならば、皆さんはサギ師です。