イエス様の生涯と愛 第66話
三、イエス様の十字架での愛とその遺産
民主、共産、イスラーム圏に分かれた背景
イエス様を中心として見ると、右の強盗と左の強盗、バラバがそれぞれ種を蒔きました。歴史がこのように蒔かれ、蒔いたとおりに刈り入れられるのです。最初に現れたのが、右の強盗型と左の強盗型である右翼世界と左翼世界、すなわち民主圏と共産圏です。その次に現れたのが、イエス様の十字架を中心として登場したバラバ型であるイスラーム(イスラム教)圏です。イエス様によって恩恵を受けられるようになったバラバ型のイスラームは、キリスト教の旧約を中心として出発しました。
このように蒔かれた歴史は、世界の形態が三大陣営に結束する時代の運勢に入るようになりました。アラブ圏のナセル(一九一八~一九七〇、元エジプト大統領)は、イスラーム圏を統合してアラブ統一国家を夢見ました。それに備えてキリスト教は今、「すべての宗教を統合しよう」という世界的な新しい趨勢に入りつつあります。このような世界的な傾向を見つめるとき、悲運によって植えられた歴史が、ついに神様を中心とした善の結果として現れていることが分かります。
歴史の終末時代になれば、これが露骨になり、初めに蒔かれたものをこの時に結実したそのままの形で刈り入れられるようになるのです。これは摂理の法度によって現れざるを得ない、不可避的な傾向なのです。
民主世界が内的ならば、共産世界は外的です。右翼が内的ならば、左翼は外的なのです。それゆえ、今後メシヤは、神様を尊重する民主世界の内的基盤の上に来られて、外的な環境圏を吸収して、キリスト教文明圏を中心として統合する運動をしなければなりません。最後には、このような運動が起きるのです。このようなことは、偶然とばかりは言えません。そのような動機が植えられたので、そのような結果がもたらされたのです。
右の強盗の功労
十字架で亡くなったイエス様について見ると、殺人強盗である右の強盗がイエス様と共に逝きました。もし右の強盗がその場にいなかったとすれば、イエス様は地に対して、人間に対して関係を結べる何の因縁もなかったでしょう。けれども右の強盗が死ぬ立場でイエス様の味方に立って、イエス様を擁護しました。人間歴史においてイエス様の味方になった最後の人は誰でしょうか。ペテロでもなく、イエス様の親でもなく、イスラエルの国でもなく、ユダヤ教でもありませんでした。ただ一人、右の強盗でした。
死の場で自分の事情を通告し、死を越えて全面的にイエス様の前に希望をかけた、ただ一人の人がいたのですが、その人が右の強盗なのです。もし右の強盗がいなかったとしたら、イエス様が再び復活して、地上の摂理の因縁を再開させることはできないという事実を皆さんは知らなければなりません。
四千年の歴史を締めくくり、三十年余りの生涯を締めくくるその場において、人間が初めて一つの生命でもイエス様と因縁を結び死の道を共にしながら、そこでイエス様を希望の主体として迎えることのできた人が右の強盗でした。彼が中心になっているという事実は、彼が使徒たちよりもましだということを物語っています。ペテロよりもましなのです。
なぜなら右の強盗は、内容は知らなかったとしても死ぬ立場で命が尽きるまで、イエス様に侍り得る方向性を備えました。しかしペテロやヤコブのような十二使徒は、内容を知り方向性を備えると誓った者たちでありながらも、方向性を備えられませんでした。それゆえ右の強盗が、人類歴史上において地に代わって、未来を再起させ得る中心的な存在になった事実を、皆さんは知らなければなりません。