イエス様の生涯と愛 第74話
復活の栄光を表されたイエス様
復活は、四千年の歴史において初めて天の栄光に代わったものであり、四千年間のサタンとの闘いに勝利した栄光に代わったものでした。イエス様がこのような勝利的な基準を霊的にも実体的にも示したので、神様は死んだイエス様を再び起こして、新たな摂理を展開するようになったのです。イエス様が十字架にかかることによって、四千年の摂理歴史の責任を引き受け、先祖たちの責任を引き受けて天の栄光に代わってあの世に行ったのが、復活、昇天だったのです。
このようにイエス様は、内的な神様の栄光をこの地上に実体的に成し遂げるため、すなわち神様の完全な栄光を表すために来られた方です。なぜならば完全な栄光というのは、内的な栄光と外的な栄光が合わさってこそできるからです。イエス様は、正にこの使命を果たすために来られたのです。
神様の栄光が完全に表されるには、神様の内的な栄光の実体として来られたひとり子であるイエス様とユダヤ民族が遠ざからずに一つになることによって、イエス様の中にある神様の内的な栄光が地上の栄光とならなければなりませんでした。しかし神様の四千年の摂理歴史を引き受けて、神様の栄光を地上で実現させるべきイエス様がユダヤ人の不信によって十字架で亡くなることによって、天の内的な栄光は霊的な栄光になったのです。それゆえイエス様は、未完の栄光を成して昇天されたのです。
昇天したのちに霊界でイエス様は、神様が四千年間サタンに対して繰り広げた天の闘いと、人間を復帰するために繰り広げた真の闘いと、み旨を成し遂げるための摂理の闘いと、聖霊に代わって愛の闘いをしているのです。すなわちイエス様は、霊界に行って神様が続けてこられたその戦いを引き継ぎ、神様の代わりに闘ってきていらっしゃるのです。
では四千年間摂理してこられた神様の前に、人間に代わり、万物に代わり、天の愛に代わったイエス・キリストが、真に勝利しなければならない土台とはどこでしょうか。ほかでもない、この地なのです。
本来、キリスト教の教理は、十字架ではなく復活の教理です。イエス様が復活することによって救いが成立したのであって、死ぬことによって成立しましたか。キリスト教は復活の宗教なのです。
亡くなって三日後に復活されたイエス様の復活の権能によって、私たちは救いを受けるのです。復活後の四十日期間の基盤の上に、初めて新たな第二イスラエル、すなわちユダヤ教に代わる新しいキリスト教が出発したのです。キリスト教は十字架の教理ではなく、復活の教理なのです。信じられない人は祈ってみてください。自信をもって話すのです。