イエス様の生涯と愛 第34話
イエス様と洗礼ヨハネを中心とした摂理
イエス様は、血筋を清めて生まれた神様の最初の息子なので、ひとり子といいます。神様から見ると、神側で血筋を清めた一番目の息子として生まれたので、ひとり子というのです。四千年を通して、このようなことをしたのです。マリヤがすべきことは、アベルの立場であるイエス様とカインの立場である洗礼ヨハネとを一つにすることでした。
カインとアベル、エサウとヤコブはみな争いましたが、イエス様と洗礼ヨハネは一つにならなければなりません。洗礼ヨハネはカインの立場の兄であり、イエス様はアベルの立場の弟です。イエス様と洗礼ヨハネが一つにならなければならなかったのに、分かれてしまったのです。これを一つにする責任をマリヤが果たしていたら、イエス様は苦労する必要がありませんでした。
エデンの園でカインとアベルが分かれたように、歴史時代にイエス様を中心として右翼と左翼とに分かれたのです。カインとアベルに分かれたのです。また、宗教もカイン宗教であるイスラーム(イスラム教)とアベル宗教であるキリスト教とに分かれました。洗礼ヨハネの母とイエス様の母は、レアとラケルと同じように姉妹の間柄です。レアとラケルが一つになってカインとアベルを一つにすべきなのに、レアとラケルは二人で争いました。そうしてイスラエル十部族とユダ二部族とに分かれ、歴史的に怨讐同士になったのです。
洗礼ヨハネの母とマリヤは親族なので、イエス様を早く結婚させていたら、一つになることができました。洗礼ヨハネの妹とイエス様が結婚していたら、分かれずに一つになることができたのです。天の側の女性がいないので、カイン側の女性を奪ってこなければならないのです。
天の側には女性がいません。イエス様がアダムの代表者として生まれましたが、女性がいませんでした。ですから、カイン側、サタン側が奪っていったものを取り戻さなければなりません。取り戻す場合には、どこが最も近いでしょうか。洗礼ヨハネの妹をイエス様の相手として結婚させれば、それが最も近いのです。そうなっていれば、洗礼ヨハネもイエス様と自然に一つになるのです。そのように結婚が成されていたならば、その時、イエス様を通して清い血筋がつながり、イエス様の子孫がキリスト教をすべて統一し、教派もなく世界が統一されて久しいのです。
母たちがしなければ、イエス様が洗礼ヨハネと一つになって、母を選ばなければならないのです。カイン・アベルを復帰して母を復帰するように、イエス様と洗礼ヨハネが一つになっていたら、母を探し立て得る道が開かれるので、そこで一つになることができたのです。アベルの立場にあるイエス様と、カインの立場にある洗礼ヨハネが一つになったとしても、母を探し立てることができ、反対に母たちが闘わずに一つになっても、単一民族が始まっていたのです。統一し得たのです。母たちが一つとなって息子たちに協助したとしても、母を立てることができたし、息子たちが一つになったとしても、母を探し立てることができたのです。しかし、それができなかったことが、イスラエルの悲運だったのです。
家庭がこのようになっているように、国家的な次元で見るとイスラエルの国がカインで、ユダヤ教がアベルでした。これが一つにならなければならないのです。イスラエルがカイン、ユダヤ教がアベルとして国家的次元で一つになっていたならば、そこで母を迎えるのです。カイン・アベルが一つになって、母を探し求めるのです。