真の父母経 第243話

第二節   「科学の統一に関する国際会議」

「科学の統一に関する国際会議」提案の背景

真の父母様は、絶対価値を中心に世界平和の実現を模索する「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」を開催された。この会議は、一九七二年以降、世界の碩学たちが参加する中、継続して開かれた。第一回「科学の統一に関する国際会議」は、一九七二年十一月二十三日から二十六日まで、「現代科学の道徳的方向性について」というテーマで、アメリカ、ニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルで開かれ、第二回会議は、一九七三年十一月十八日から二十一日まで、日本の東京にある帝国ホテルにおいて「現代科学と道徳価値」というテーマで開催された。特に第二回の会議には、著名な物理学者を含むノーベル賞受賞者五人が参加した。その後、「科学の統一に関する国際会議」では、「絶対価値」をテーマに掲げて世界の懸案を議論し、真の父母様が大会ごとに創設者として基調演説をされた。

1   お父様にとっては、天の召命を受け、世界をどのように収拾して神様が願う理想世界に導いていくか、その近道とは何かが問題でした。それで、教授社会を結束させ、「科学の統一に関する国際会議」をつくったのです。一九七一年に、アメリカを訪れた時、荒涼とした野原に立った孤児のようでした。周辺にはおおかみが群れをなしているのに、裸の孤児のような立場に赴いたのです。「この地に来て、三年半の間にこの国をひっくり返さなければならない。問題を起こし、激しく動かしてしまわなければならない」と考えました。そこでどのように基盤を築くかが問題でした。

2   私が初めてアメリカに行ったとき、アメリカの教会本部の一年の予算が、二万六千ドルでした。十年近く過ぎた今は、一ヵ月に使う経費が三百五十万ドルから四百五十万ドルになります。夢のような話です。何百倍の経済基盤を築いたというのです。このようになる過程で、ビザの問題が出てきて、アメリカ政府が日本食口とドイツ食口を追い出すという出来事が起きるようになったのです。しかし、すべて基盤を築きました。

このような闘いをして、何をするのでしょうか。世界的な反共戦線を確立しなければならないというのです。そのためには、若者たちだけではできません。ですから、ここに必要な最高の知識人、世界的な学者たちをどのように集めるかが問題になります。それで、「科学の統一に関する国際会議」を創設することになったのです。

3   「科学の統一に関する国際会議」が出発するとき、私は町役場の給仕のような姿でした。だからといって、それが悪いというのではありません。私はそれをすべて受け入れました。それに抵抗していれば、既にすべて崩れてしまっていたでしょう。私が基調演説をしたあと、世界的な物理学者の一人が、それに反対し、声を上げて飛び出していったということもありました。そのような扱いを受けたのです。

しかし、私は言うべきことを言ったのです。そのようなことを意に介さず、すべて忘れてしまいました。高い山になれば、風にもまず当たらなければならず、夏でも雪をかぶっていなければなりません。だからといって、その位置を守らなければ、どのようになるでしょうか。名山がすべて砕けていくのです。ほかの人々が豊かに暮らしているとき、そのように高い山の頂上で白い雪をかぶり、一人孤独に歩んできました。しかし、白頭山(ペクトゥサン)、あるいはヒマラヤのエベレストの山頂に登攀(とうはん:よじ登ること)する勇士たちの前には、それが希望峰になるのです。

4   お父様がアメリカに来て、すべて調査してみると、共産勢力が今まで政治と外交問題を中心として、政府に対して反対運動をしてきたというのです。これから大学を中心とした活動が急変するのは間違いないので、共産勢力が地下から上がってくる前に、私たちが頂点に行って彼らを防がなければならないのです。これは、国がしなければなりません。

しかし、国ができないので、私たちがしなければなりません。アメリカを救うためです。ですから、日本と中国を連結させて、これから膨大な連結体をつくろうと計画しています。科学者大会や政治学者大会のようなものを構想して、今後、国連で共産勢力が主導権を握るのを防止できる世界的な活動を展開しなければなりません。国がしなければ、私たちがしなければなりません。私がしなければならないのです。そのようなことをするための万全の準備を、皆さんが知らない間にしているのです。

このようなことを、なぜするのでしょうか。直接的にできる立場に立てないので、間接的にでもして基盤を広げ、私たちの正しい基盤を選別するためです。アメリカに新しい方向を提示し、民主世界に貢献できるやり甲斐のある使命を彼らにそのまま引き継がせて、それを天意に結びつけようという目的で、このようなことをしているのです。

5   「科学の統一に関する国際会議」の各分科ごとの専門委員たちは、専門的な学者であり、それぞれの分野で影響を及ぼした人たちですが、互いに統合して、全世界に影響を及ぼすためのプロジェクトを構想して推進することが、今日まで学界にはありませんでした。

私たちがこのようなことをしたことは、今後、統一教会が一目置く存在になることができる良い機会になるでしょう。これを続けていけば、お父様がアメリカで活動するすべての分野に対して、後援し同調する基盤が、最高の知識人たちを通してできるだろうと考えています。今まで、国際会議の中で学術会議は、分科別に専門分野の学者たちだけが集まり、行ってきたので、制限されていたのが実情です。しかし、(この会議は)膨大な全体分野の集会を開催するので、国際的な水準を代表するノーベル賞受賞者だけでも、七十人以上が糾合されるのではないかと考えています。

そのような観点で、この学術会議は、世界にない歴史的な記録を残すようになるでしょう。今やアメリカは、有名な十大学であれば、十大学のノーベル賞受賞者たちを中心として、その人々が主導して、今後の方向を提示していくようにしたり、人選をして学校別に組織化して、すべての教授たちに方向を提示したりすると同時に、学生たちを動かす運動を組織化しなければならないというのです。これが、お父様が「科学の統一に関する国際会議」にかける願いであり、観点です。

6   一九七二年、第一回「科学の統一に関する国際会議」をアメリカ、ニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルで開催しましたが、三十二人が集まりました。当時、お父様は使い走りと同じで、隅っこにいるのかいないのか分からないように座っていました。ところが、拙い英語でしたが、私が設立者として話をしました。そうして、一年がたち、二年がたつと、その成果が良いので、お父様に対して「よくやった」と言うのであって、議長に対して「よくやった」とは言わなくなりました。

今になって、世界の学者たちはお父様を尊敬していて、当然、目上の人として接待しなければならないことが分かっているというのです。私が世界各国を回りながら、この「科学の統一に関する国際会議」に参加した学者たちを集めてバンケットをするとすれば、数百人が集まる中で、開催することができるのです。そのような世界基盤がすべてできたというのです。

7   世界的な碩学たちを動かすことのできる基盤を築くためにつくったのが、「科学の統一に関する国際会議」です。第二回大会は東京で開かれたのですが、東京大学を中心とした有名な学者たちを前に立て、世界の碩学たちを集めて大会を行いました。私はこの大会の創設者なので、挨拶の言葉を語ろうと考えていました。ところが、主人が挨拶するのは組織世界における常識であるにもかかわらず、私が講演し、挨拶をする式順がすべて抜けていたのです。それで、これを一晩でひっくり返しました。私を見くびって、(逆に)一発たたかれたのです。

その時でさえ、私に会ったことがなかった人は、私が何かの王冠やかぶり物をかぶり、修行服を着て出てくるものだと思っていました。「誰が統一教会の教主、文某なのか」と言って、私が登壇しても、私を見るのではなく、ほかの所を眺めていたというのです。そのひっくり返しておいた局面で、笑いながら、「私はアジアと世界の運命を懸けてここに立っている」という思いで、講演を行いました。堂々とその場に立ったというのです。

8   「科学の統一に関する国際会議」は、ニューヨークで第一回大会、東京で第二回大会を行いました。今度、第三回大会はロンドンで行います。第四回大会は、またニューヨークで行います。このようにして、世界の舞台にいる巨星たち、学界の巨星たちを糾合する運動をするのです。このように第四回までやって、世界的な著名人、言い換えれば、ノーベル賞を受賞した学者たち数十人がここに加担するという事実が明らかになれば、これは世界の舞台に向かって大々的に宣伝しても、言論機関に対して恥ずかしくない基盤ができるのです。そうして、ニューヨーク大会まで経たあとに、本格的に世界の学者たちを組織しようと考えています。その時までは、私たちが引っ張っていきながら、背後を押してあげるのです。

このようなことをするのは、これから世界を動かすためです。世界の専門分野の著名な学者たちをどのように動員するかが、今後の世界を動かすに当たって基礎になり、基本となるのです。

9   一九七五年十一月に六十ヵ国の碩学たちを集め、「科学の統一に関する国際会議」を開催しました。ノーベル賞受賞者や、世界で権威のある学者三百五十人を招請し、ニューヨークで大きなバンケットを行いました。これが既に、年数で五年目に人ったのですが、六年目になれば、世界の有名な学者たちの中で、知らない人がいなくなるでしょう。それに伴い、大学原理研究会の組織を世界的に強化させ、この人々と一つにしようと思います。

世界を動かそうと思えば、まず大学を動かさなければなりません。世界的な大学を動かす人が、これから世界を指導することができます。そして、言論界と経済界を動かす人が、世界を動かすことができるのです。

10  博士だからといって、自分の専門分野以外のことを知らないのではいけません。ですから、私が「科学の統一に関する国際会議」を創設し、学者世界の壁を崩したのです。科学を研究する人々は、自分の専門分野でなければよく知りません。経済学や政治学など、みな知らないというのです。ですから、私が「科学の統一に関する国際会議」を創設して、それを平準化したのです。

11  お父様は世界の有名な科学者たちを集めて、「科学の統に関する国際会議」を創設しました。最初は公の席で、彼らが「自分たちのことを利用しようとしている」と言いました。あなたたちを利用したからといって、滅びるものがどこにあるのかというのです。学界の壁を崩してしまった人は誰かというのです。有名な科学者たちと政治、経済、哲学の学者たちが、同じ大学で顔を合わせていても、互いに話しかけもしません。彼らを兄弟の関係にして、最高の学者たちを中心に連合運動を展開し、民族感情を越えて超国家的な民族心情圏と超国家的な統一的歴史を啓発できる活動を行ったのです。歴史的な事件の中でも、偉大な事件です。その大会のテーマも、私が決めました。そうして、彼らがお父様に対して最高の基準で侍ったのです。お父様が偉大な貢献をしたという事実に対して、歴史的にたたえることのできる記録として残しておいたというのです。

12  「科学の統一に関する国際会議」と関連し、私たちの使命は、第一に、重要な要人たちを選抜しなければならないということです。ここで選抜するようになれば、皆さんが推薦してくれなければなりません。重要な学者たちを選抜しなければならないのです。

第二は、長期的な関係づくりです。一時的にだけするのではなく、一度関係を結べば、維持していかなければなりません。皆さんは、長期的な関係を築くために努力しなければならないというのです。「科学の統一に関する国際会議」に一度出たきり、関係が切れてしまってはいけません。

第三は、これからアメリカであれば、アメリカの州から来る教授たちの費用に対して、すべてその州が責任をもち、各国から来る教授たちの費用に対して、すべてその国で責任をもつことができる組織をつくらなければなりません。そのようにしてこそ、世界的に発展するのです。

第四は、彼らが論説委員として活躍できるようにすることです。私たちが国際的な新聞社を造るとき、この人々が論説委員としてどれほど能力があるかを把握して、彼らが活躍できるようにするための準備を今からしなければなりません。そのような責任を、皆さんがもたなければなりません。「科学の統一に関する国際会議」を中心として、重要な人物の選出、長期的連帯、資金負担、大学や言論に活用する問題、このようなことに対して、今から皆さんが関心をもちなさいということです。

Luke Higuchi