真の父母経 第137話
天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳
7 「天一国」の「天」の字は、「二人」を意味します。そして、「二の字は、上の水平と下の水平のことを意味するのです。天上世界と地上世界が平和にならなければなりません。ですから、天宙平和という意味が含まれるのです。「天一国」の水平(一)は、統一の「一」の字です。それで、二〇〇一年の標語は、「二人が真の愛を中心として、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨を完成しよう」というものでした。
真の愛でなければ、み旨を完成できません。絶対、唯一、不変、永遠、絶対的愛、唯一的愛、不変的愛、永遠の愛のみ旨を完成しようというのです。それが、二人が一つになった国、天一国です。天宙という言葉は、天地の家を意味します。男性も女性も水平になって、天に侍らなければなりません。侍る天を中心として、「私」の体と心が一つにならなければならず、その次に、夫婦が一つにならなければならず、父母と子女が一つにならなければならず、兄弟が一つにならなければなりません。すべて二人です。
主体と対象圏がどこでも一つになるには、真の愛でなければ駄目なのです。真の愛が中心になります。個人的中心、家庭的中心、次第に大きくなっていきます。その次には、父母と子女の中心、兄弟の中心になります。そうして、家庭定着です。
家庭定着ができれば、家庭を中心として氏族と一つになり、氏族が一つになれば、氏族を中心として民族と一つになり、民族が一つになれば、民族を中心として国家と一つになり、国家は世界と、世界は天宙と、天宙は神様と一つになった統一的国家にならなければなりません。そのようになれば、横に行っても縦に行っても、ぶつかることはないのです。
8 二〇〇二年の標語は、「天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳」ですが、その自由、平和、幸福は、真の愛を中心として語る言葉です。真の愛を中心とした自由、真の愛を中心とした平和、真の愛を中心とした幸福です。これは家庭にも入り、すべてに入ります。一人で幸せになることはできません。幸福の基礎は家庭しかないので、これを連結できる家庭がたくさん繁殖しなければなりません。
四位基台は、祖父母、父母、自分たち夫婦であり、息子、娘まで含めれば四代です。これが一つのカテゴリーです。四位基台の上で、アダムの孫からは数十双が出てきても大丈夫です。これが種になっていて、モデルが出てきたので、ここから十二支派が出て、数百支派が出てくることができます。息子、娘をたくさん生んでペアをつくるほど、アダムの家庭が栄えるのです。
ですから、四位基台完成のもとで四系列が出てきます。祖父母、父母、自分たち夫婦の三代が暮らせば、息子、娘が出てきます。三代を中心として、創造本然のアダムとエバの息子、娘と孫たちが出てくるのですが、この四代からは種になって、結婚さえすれば、天国にそのまま入ります。それが一つのモデルなのです。
真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように
9 二〇〇三年の標語は、「真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように」です。ここに、神様の創造理想の全体が入っています。個人、家庭、氏族、民族、国家において、真の家庭を中心とした孝子の伝統を受け継ぐのが忠臣であり、忠臣の伝統を受け継ぐのが聖人であり、聖人の伝統を受け継ぐのが聖子です。
そして、聖子の伝統を受け継いで王権が樹立されます。ここでの相続は、神様の王権を占領した基盤で成し遂げられるようになるのです。
堕落した世界の個人の所有権や国に属しているものは、すべて否定されなければなりません。それは、結局は堕落した世界の結果物です。神様が願わない怨讐の血統に連結され、汚された世界です。神様は、その影がかかることさえも好みません。戦争によって大勢の人たちが死に、興亡盛衰を経てきたこの悪の世界を、神様が管掌(かんしょう:役目の権限をもってつかさどること)することはできないというのです。
10 真の愛によって、私たちの家庭は天一国の主人になり、孝子にならなければなりません。主人になるというのは、孝子になったあとに語る言葉です。
その次には、忠臣、聖人、聖子の真の家庭になってこそ主人になります。それは、ただ盲目的に語った言葉ではありません。これは、天理原則において避けることができない一つの礎石を据えた立場なので、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をして、自分は千辛万苦の受難の道も感謝しながら、百回、千回死んでも、無限大の世界のために行かなければなりません。
神様が宗教圏を中心として愛し、信じることのできる、御自身の側にいる人が犠牲になっても、耐えるしかなく、助けてあげられない(神様の)無念な心情を皆さんが体恤し、行く道を前にして涙が前を遮り、血と汗が自分の周囲にしみ渡っていてこそ、サタンが皆さんに入ってくることができないのです。ために生きて涙を流し、ために生きて血を流したその跡があるので、サタンが来ることができないというのです。サタンは利己主義です。利己主義なので、その場を侵犯できません。
11 家庭のモデルが忠臣と通じ、忠臣のモデルが聖人と通じ、聖人のモデルが聖子と通じ、聖子のモデルが王権と通じます。ですから、真の父母がいらっしゃる天一国には、真の父母、真の主人、真の師、真の王が行くのです。孝子、忠臣、聖人、聖子、王権と同じです。その位置まで越えていってこそ、相続を受けます。はっきりと教えてあげるのです。いくらうまやっても、中間では駄目です。福を受けようとしてみなさいというのです。死んだのちには、墓場に行かなければなりません。これは、墓場ではなく、天国に行ける間違いのない道です。今や、世の中がすべて知っています。
ですから、二〇〇二年七月四日、ワシントンDCで天の解放宣布式を行うとき、霊界の決意文を宣布しました。第一は、「絶対真の父母である神様と真の父母様を知って信じる」、次に「絶対真の師である神様と真の父母様を知って信じる」、その次に「絶対真の主人である神様と真の父母様を知って信じる」、また、その次に「真の父母様を神様の実体として、真の父母、真の師、真の主人として信じて行動する!」です。
王です。王にならなければなりません。真の父母、真の師、真の主人です。王は一人しかいません。ですから、「統一家の祝福家庭は、父母様を王として、侍りなさい」と言いました。そうしてこそ、相続を受けます。王の前に行って王子になってこそ、相続を受けるのです。聖子になってこそ相続を受けます。それを受けられなければ、あの国(霊界)に行って引っ掛かるのです。
神の祖国と平和王国時代宣布
12 二〇〇四年一月一日、きょうから「神の祖国と平和王国時代」に入ります。宣言ではなく宣布です。宣布というのは、そのような時代になったということです。これは、個人だけでなく、全世界、天地に及ぶので、宣布の内容は既に宣言時代を通り過ぎたのです。
その言葉は、神様の祖国光復はもちろん、神様の平和王国時代も既に宣布されたので、そのような世界に生きる人として、そのような立場に立ち、神様の平和王国を完成しようということです。
13 「神の祖国」という言葉を二〇〇四年一月一日のけさ、宣布したので、これから神の祖国が始まります。そして、平和王国を宣布しました。神の祖国と平和王国が始まったので、その場は堕落した世界と何の関係もない場です。堕落する前、神様が願った神の国、神の祖国です。その祖国の領土で親族が暮らすことができ、民族が暮らすことができ、国々が暮らすことができます。全体が天の国になり得るのです。仮想ではない実存的存在圏です。
この祖国の上から、すべてのものが始まり、議論されなければなりません。「祖国」とは、このように貴い言葉だというのです。祖国がないところで成し遂げられたものは、すべてなくなります。国がなければ、「大韓民国」という言葉も、「白衣民族」とい言葉もあり得ません。
神様が願う祖国の地の内容が、歴史時代を経て個人から家庭、氏族、民族、国家に連結され、世界の祖国光復を宣布できるその時になれば、このすべてのものが、祖国の上で存在し始めるというのです。しかし、そこから脱落したので、蕩減法で代用するために、今までは条件的基準を中心として生きてきました。神の祖国の領土ができたという時には、過去の条件的立場でその名分を立ててきたものをすべて踏みつけ、断ち切り、ひっくり返して、この祖国の領土の上に再び立てて改造しなければならない時代になるというのです。
14 皆さんが夢の中でも考えなければならないことは、神の祖国と平和王国です。神様は祖国を願い、人間は平和王国を願いました。天が願い、地が願ったことを所願成就したので、死ぬとしても感謝しなければなりません。皆さんがこの地上に生きて、死ぬ時になれば、地に対して感謝し、万物の前に恥ずかしくないように忠孝の涙を流さなければなりません。自分自身の享楽のために生き、楽しみのために生きて涙を流す、恥ずかしい息子、娘になってはいけません。