真の父母経 第117話
9 今は世界的な時です。父母様が、「百二十人を伝道しなさい」と言って祝福家庭の婦人たちを動員した年が一九七〇年でした。その時は国家的な時でしたが、今は世界的な時です。イエス様を中心とした国家的な時を蕩減復帰して解放されたので、迫害がない所で、世界的な基準を中心として氏族メシヤになるのです。
氏族メシヤとは何でしょうか。皆さんが家庭教会をつくって使命をすべて果たせば、氏族メシヤになります。ですから、自分の信仰の息子、娘たちを連れてきて、教育しなければなりません。親族です。霊的な信仰の息子、娘たちを中心として一つになり、氏族的なメシヤ圏を復帰することによって、霊界の他の一族も後援するのです。そのようになれば、連合的な戦線ができ上がります。
10 三百六十家庭教会をなぜするのでしょうか。三十六は十二数の三倍です。十二数は天理の度数です。これは、霊界の十二の真珠門のことを意味します。三十六家庭の数と同じです。また、旧約時代、新約時代、成約時代の三段階の運勢を連結させることができます。それは、天道を解くために出てきたのです。
三百六十日の一日というのは、永遠を代表する一日です。皆さんがそのような観点で一日一日、家庭教会を訪ねていくことは、歴史時代の数多くの日を、神様のみ前に勝利の日として立てるための活動なのです。三百六十家庭は、人類が天の国を建てられず、勝利の日を立てられなかったことを取り戻すためのものです。言い換えれば、三百六十家庭は、三百六十日を神様のみ前に立てるためのものであり、天の国を人類と共有するようにするためのものです。ですから、三百六十家庭が必要なのです。
11 アダムとエバが堕落することによって、神様を地球上から追放してしまいました。皆さんが三百六十家庭をもつことによって、その三百六十家庭に神様を顕現させることができるのです。
その次に、アダムとエバが堕落することによって追放してしまった天使世界が、地球上に顕現できる基盤になります。また、堕落することによって万物を失ってしまいました。三百六十家庭は地球星と同じであり、失われた宇宙の象徴なので、万物がその中にすべてあるのです。
その次に、世界人類を失ってしまいました。三百六十家庭は、世界の三百六十氏族のような全体を表象的に象徴した代表数なので、そこには万民を代表する数の人がいます。それをすべて復活させなければなりません。
復活させて、神様のみ前にお返しすることによって、皆さんは、過去の歴史において、堕落した私たちの先祖たちが失敗したすべてのことを復帰するのです。神様の顕現、天使世界の顕現とともに、万物の復帰、人間の復帰をして、この世界から地上天国化するのです。
12 なぜ家庭教会をしなければならないのでしょうか。長子復帰をしなければならないからです。長子を復帰してこそ、父母が復帰されるのです。
今、復帰歴史は、アベル、次子として長子復帰の路程に向かっていく途中です。世界的カイン、長子を屈服させて、復帰できる基盤が家庭教会です。ですから、カイン圏の長子復帰圏基盤とアベル圏の長子復帰圏基盤が一つになれば、氏族メシヤ圏の使命が終わり、氏族的真の父母の位置に登場するようになります。そうして、真の父母を中心とした氏族自体が、天国に入れるのです。
皆さんの中で、一九八一年まで三年間、三百六十家庭圏で絶対服従した人は、努力しなくてもそのまま天国に入っていける恵沢を受けます。これは恵み多い事実です。今や、ようやく統一教会時代に入ってきて、長子カインが次子アベルを打った歴史から、アベルが長子の位置に立ち、カインを屈服させられる時を迎えるようになりました。これからは統一教会に反対すれば、即座に被害を受けるようになるのです。即座に裁かれます。そうして、これが世界的な版図に展開されるでしょう。
13 神様は、今までメシヤを送り、人類を救おうとしました。神様が人類をどれほど救いたかったでしょうか。父母様の時代になって家庭教会をつくったという事実は、天の勝利となり、摂理の終局であり、すべての歴史の終局であり、サタン世界の終局であり、天国の始発点になるというのです。ですから、皆さんは、父母様の伝統を受け継がなければなりません。
14 統一教会が主張してきたのは、伝統を受け継がなければならないということです。神様の復帰摂理における心情の伝統を受け継がなければなりません。
その次には、父母様がこの伝統を立てるために歩んできた一生のあらゆる心情を、皆さんが引き継がなければなりません。
これを引き継げる一つの基盤が家庭教会であり、その運動が家庭教会運動です。家庭教会をもたなければ、天の国に行く時、父母様に付いていくことができません。これから家庭教会が、全世界的に二十四万になれば、全人類に対して配置するのです。そのようになれば、教会は完全になくなります。
韓国人は、これから家庭教会の配置を受けることができる恵沢圏内にいます。いまだに世界の至る所で家庭教会が配置されていないため、民族大移動をしなければなりません。家庭教会の配置を受けるために、全世界に大移動する時代に入るというのです。
15 これから皆さんは、家庭的に愛をもってサタン世界を攻撃するのです。家庭をもって、腐敗したサタン世界を攻撃するのです。すべて壊してしまわなければなりません。そのような時が来ました。ですから、皆さんに対して、「一気に家庭を動かすことができ、氏族を動かすことができ、民族を動かすことができる家庭教会運動をしなさい」と言ったのです。これさえ終わらせ、これさえできれば、世界を引っ張ってくることができます。「これさえ成し遂げれば、私が天国を築くことができる」と言える時が来たというのです。
16 お父様が今まで四十年間闘ってきたすべてのものを総合して、決算できる場が家庭教会です。家庭教会第一主義時代です。家庭教会は今後、何にならなければならないのでしょうか。皆さん自身の家庭教会が、氏族教会にならなければなりません。家庭教会ではなく、今や氏族教会に発展していかなければなりません。
皆さんの金氏や朴氏という氏族教会さえ連合すれば、民族は自然に生じます。氏族復帰の基盤さえできれば、国家は自然に生じます。氏族教会、民族教会、国家教会、世界教会、天宙教会に連結されるのです。
家庭教会は愛の実践場
真の父母様は、「三百六十家庭(軒)とは、世界的蕩減基盤を連結した世界を代表する一つの中心型であり、ここにおいて勝利すれば、自分の氏族は世界的氏族圏に登場し、同じ価値の位置で蕩減するようになる」と語られた。そして、三百六十家庭の中に私を愛してくれる人がいないと考えるのではなく、私が愛してあげられなかったことを無念に思うことを強調された。愛してあげられなかったことを嘆かれる神様と同じ心で、三百六十家庭で、「遮るものはどこにもない」と言える勝利者になることを願われたのである。また、三百六十家庭は、すべての人を自分の兄弟や父母よりも愛するようにする修練場であり、どのような人でも愛することができるようになるとき、完全な主体になることを明言された。
17 皆さんの心で愛の鐘の音を聞きなさいというのです。そのようになれば、「私の口は愛の言葉だけを語るようになっていて、そうでない言葉は語らないようになっている」と言うようになるでしょう。愛の言葉でないものは、耳が聞かないようにし、愛でないものは目が見ないようにするのを感じなければなりません。
そのように生きれば、間違いなく皆さんは、遠からず神様の愛に酔うことができる境地に入るでしょう。霊界と直接通じ、家庭教会に関する難しい問題を、上手に、無意識のうちに、たやすくすべて解決できる主人公になります。三百六十家庭のどんな問題でもすべて解決できる、神様を身代わりする主人になるでしょう。
私がそのような愛の場に入っていけば、話をしないようにしようとしても、言葉が出てきます。本当に不思議なことがたくさん起こります。ありとあらゆることが起こるのです。自分が恐ろしい人であることを感じるようになります。このように、愛において、すべてのことが決定されるのです。
18 女性として生まれ、お嫁に行くようになれば、本家を離れて自分の夫に付いていくのと同じように、統一教会を信じてからは、家庭教会の活動をしていかなければなりません。そのようにしてこそ、天国に入ることができます。お嫁に行くのと同じです。それを経なければ、天国に入れません。いくら父母様に付いていこうとしても、付いていけないのです。それができなくなれば、皆さんの息子、娘がしなければなりません。
ですから、夫が妻のために生きる以上に、妻が夫のために生きる以上に、そして父母が子女のために生きる以上に、家庭教会をしなければなりません。そうして、家庭教会圏内の人々が「このように私たちを愛してくださり、私たちはこの愛を学ぶことができたので、あなたに愛をお返しします」と言うその内容が、家庭教会圏内にすべてカバーされるとき、そこは神様の領域であると言うことができます。地上の天国圏だと言えるのです。新しい文化、新しい運動によって一つになり、新しい復興を起こすことができるのです。
19 家庭教会は、皆さん夫婦から出発しなければなりません。夫は、愛を探し求める家庭教会の基盤であり、妻は、愛を探し求める家庭教会の基盤だというのです。愛を主管しなければなりません。ですから、夫は、妻を愛する以上に家庭教会を愛さなければなりません。妻より愛することができなければ、その愛は真の愛になり得ません。皆さんの息子、娘以上に愛することができなければならないのです。
なぜ、そのようにしなければならないのでしょうか。悪の世界から本然の世界に入るために、その境界線を突破しなければならないからです。それは家庭や国よりもさらに大きいので、自分の妻や子女よりもさらに愛するという基準を立てなければならないというのです。そうでなければ、家庭教会をいくら動かしても効果がありません。それ以上でなければならないというのです。
真の愛を携えていくようになれば、そこには神様が付いてきます。宇宙が付いてきます。誰も遮る人はいません。そこにおいては自然に環境が溶け出し、すべてが押し寄せてくるようになっています。そこにある木が慕わしく、そこにある道が慕わしく、そこにある家々が見たくて行かざるを得ないというのです。無意識のうちに訪ねていきます。知って、行かなければならないと思って行くのではなく、我知らず訪ねていくというのです。そのようにさせる運動が起こってこそ真の愛が拡大されるのです。