真の父母経 第109話

22  私たちは、「天国を成し遂げた」と言って笑う声が、三千里半島と全地球上に高々と響き渡る、その日のために行進しなければなりません。このような立場にいる私たちなので、休む暇がありません。御飯を食べていても、涙を流しながら痛哭する統一信徒たちにならなければなりません。

なぜ、そうでなければならないのでしょうか。神様が願った(地上)天国を築いてさしあげ、イエス様と聖霊がすべては成し遂げることができなかった恨と、満足に食べることもできずに祭物の過程を経ていった千々万の聖徒たちが、地上天国を完成することができなかった復帰の恨を解いてあげるためです。そのようにしてこそ、彼らが解怨成就されるのです。このような途方もない内容を知り、この途方もない使命を背負った私たちに、休む暇がどこにあるのかというのです。脚が折れるとしても、死ぬとしても、全力を尽くして行かなければならない復帰の道が残っています。ですから、父母様は皆さんに「三年路程を行きなさい」と命じました。

その道を行くときには、誰もが死を覚悟しなければなりません。一片丹心で自分が立てた志を果たすためには、寝ずにおなかをすかせながら、冒険をしてでも行かなければなりません。このような事情を展開させたこの師にも、責任があります。ですから、父母様が願うのは、皆さんがそのような立場に立つとき、誰かに対して不平を言ってはいけない、ということです。

皆さんはそのような立場で倒れ、犠牲になっても、嘆いてはいけないというのです。天国を建設するために足場を築く勇士に対して、どうして怨讐の矢が向かってこないでしょうか。どうして怨讐が自らを包囲することがないでしょうか。そのようなことがあり得るというのです。

しかし、師のために、神様のために生きる思いは、自分自身のためのものではなく、この民族のためのものであり、世界のためのものです。ですから、その場は神聖な場です。たとえその道が遠くても、近道を探し求めて、喜んで行かなければならないのが、統一勇士たちの歩みです。

23  父母様は、イスラエル民族の立場である大韓民国とこの民族が、責任を果たせない立場に立つのではないかと心配しています。皆さんを前に立てて栄光があれはその栄光を先に皆さんに与えたいのです。それを知って第一次七年路程の残りの四年期間を歩まなければなりません。今は皆が疲れてしまいかねない時なので、さらに奮闘しなければなりません。

アダムとエバが堕落して、カインとアベルという実を結んだので、これを、食口たちを中心として蕩減復帰しなければなりません。祝福家庭を中心として蕩減復帰しなければならないというのです。もし各地域において、他人が行こうと行くまいと忠誠を尽くして進む孝子、孝女の家庭があるとすれば、その家庭は、その目的に向かって、父母様に代わり、涙と血と汗で民族的な恨の峠を越えていきつつあるとみなすことができます。

この民族のために、涙で福を願いながら、一日一日を感謝して暮らす人がいるとすれば、その人は父母様の相対になります。そのような人々によって天的な歴史が(峠を)越えていくようになります。ですから、第一次七年路程の後半の四年期間、皆さんは責任を果たし、民族的な勝利的主管者にならなければなりません。そうすれば、民族的な勝利の日を皆さんが迎えると同時に、神様が迎えるようになります。

皆さんはこれを知って、「日久月深」(願いが時とともに強くなる様子)で祈らなければなりません。そのようなことが終わったあとは、世界的な勝利的主管者にならなければなりません。それによって、万民がそのような恵沢圏内にとどまるようになって神様をたたえる時、私たちは初めて解放されるのであり、「神の日」を完全な勝利の日として立てるようになるのです。

24  父母様は、一九六五年十二月三十一日と一九六六年一月一日の両日にかけて、韓国の七ヵ所に聖地を立てました。このような基準を立てて、国家的基準において個人復帰、家庭復帰、氏族復帰が始まったのです。

私たちは、神様が取り得る個人的な勝利の基盤、家庭的な勝利の基盤、氏族的な勝利の基盤、民族的な勝利の基盤を備えなければなりません。

ここにおいて氏族は、統一教会の祝福家庭を意味し、民族は、このような氏族によって形成された統一民族を意味します。今後、私たちは、統一民族を編成しなければなりません。ですから、私たちは、韓国でカイン・アベルが立てるべき天的な位置と中心を蕩減して立てなければならないのです。このような使命分野に向かって総進軍することが、第一次七年路程において果たすべき使命です。

25  第一次七年路程出発の最初の年の標語が、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」です。これは男性として、母を探し求めようということです。

二年目の標語は、「父の代身者となろう」です。初めてお母様を探し出したので、復帰された天国に向かって、父なる神様の代わりに役事できるのです。これは、お父様の一生について語った言葉です。

三年目の標語は、「見せてあげて誇り得る者となろう」です。見せてあげて誇れるのは息子、娘です。これは、皆さんの復帰路程を中心として語った言葉です。ですから、この標語は皆さんの標語と同じです。

皆さんは、第一次七年路程を中心として、天のみ前に生涯最高の年にしなければなりません。失われた男性によって失われた女性を探し出す、最高の年にしなければなりません。

そうして、神様の代身者になり、見せてあげて誇らなければならないのです。

その次には、勝利的主管者にならなければなりません。四位基台を完全に復帰したので、勝利圏を主管しなければならないのです。

一九六〇年にお父様が「今回の七年路程が過ぎれば、私が必要とし、私が動かせる完全な基盤ができるだろう」と話したとき、皆さんは夢のような話だと思いましたが、今見れば、その時に話したとおりになっています。

26  第一次七年路程を勝利しましたが、父母様は七年路程において血の涙をたくさん流しました。いくら難しいことがあるとしても、夜も昼も一つの目的を達成するために駆け回りました。「誰々が行かない」と言って恨むこともなく、「友達がいない」と言って恨むこともありません。神様が既に定めた摂理の結果を収めるべき使命があるので行くのです。

そうして、この世界に広がっている善の結実を収めなければなりません。心情の鎌で刈ることによってこのような結実を収め、分かれた自らを統一し、分離した天情と人情を統一しなければなりません。

私たちの体自体は、たとえ切れ味の良くない鎌の刃先だとしても、収穫するときに用いられる道具としての実体にならなければなりません。このような実体を通して、今日、滅びていく世界を正しく導き、神様の心情を中心として、新しい中心の世界に越えていかなければなりません。それが統一教会員たちの使命です。

27  私たちは、一九六〇年を中心として新しい勝利の基盤を準備することができました。すなわち、二千年前にイエス様が願った基準を、この地上で復帰できる摂理の基盤を準備したというのです。このような途方もない歴史的な基点が準備できたので、一九六〇年から新しい歴史時代に入るようになりました。

第一次七年路程の七年間に、民主主義が世界を収拾できず、共産主義が世界を支配するようになれば、すべて滅びるようになります。ですから、皆さんは、滅びつつあるものを栄えさせ得るこの七年の期間を中心として、民族を復帰し、国家的な民族形態を形成しなければならず、ひいては世界が一つになれるようにしなければなりません。この七年の期間内に、すべて復帰しなければなりません。

イエス様がこの地に来て願ったことは、イエス様自身を中心として、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を探し出し、その探し出された「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を中心として、サタンが讒訴できない絶対的な権限をつくり、神様のみ前に栄光をお返しできる「神の日」を探し出すことでした。

これをイエス様が願ったので、私たちはこの目標を中心として、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を立てたのであり、第一次七年路程を越えるために、一九六八年一月一日を「神の日」として設定したのです。


第二節   国家・世界復帰の基台を築いた第二次・第三次七年路程

第二次七年路程と私たちの責任

真の父母様は、第一次七年路程は父母の路程であり、その後、一九七四年までの第二次七年路程は子女の路程でもあると語られた。特に、この期間の年頭標語である「全面的な進撃をしよう」、「勝利的統一戦線」、「統一基盤確保」、「統一戦線守護」にもよく表れているように、国家復帰の基台造成のために全力を傾けた期間である。

第二次七年路程は、祝福家庭が氏族(的)メシヤの使命を果たし、先祖の位置を復帰しなければならない期間であった。この期間には、民族・国家復帰の基盤を築くために、まず氏族を復帰しなければならないと語られた。

1   一九六〇年から一九六七年までの第一次七年路程では、父母が縦的な基準を中心として勝利しました。ですから、第二次七年路程は皆さんの時代です。ここからは、皆さんが横的に闘わなければなりません。第二次七年路程は長成時代です。歴史はいつでも、二番目を中心として決戦を行いました。それと同じように、韓国がどうなるかという問題が、第二次七年路程にかかっています。

第二次七年路程が終わる一九七四年までには、韓国が統一教会のみ旨に協助しなければなりません。そのようにせずにみ旨を遮り、この原則に符合しなくなるときには、神様が許さないでしょう。このような基盤を中心として、私たちは前進しなければなりません。

第二次七年路程が終わる時には、国家基準を越えなければならず、第三次七年路程を越える時には、世界基準を越えなければなりません。

第三次七年路程が終わるのは一九八一年です。その時までには、世界基準を越えなければなりません。これは、原理の軌道を蕩減復帰するに当たって、横的に過ぎ去った歴史を再現しなければならないからです。

2   第一次七年路程を通して、「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を成就することにより、イエス様が果たせなかった父母の役割を果たせる責任基準を立てておきました。その次には、真の父母として責任を果たした勝利の基盤に従って、子女たちもその国を探して立てられる時まで、これを内外で一つにしなければなりません。そのようにしてこそ、イエス様がこの地上で生きて成就すべきであった本来のみ旨を完結するというのです。

真の父母が勝利した基盤に従って、子女たちがその基盤を再び国家基準を越えられるところまで築いていくのが第二次七年路程です。ですから、一九六八年から七年の期間は、国であれば国の全体分野まで、イエス様当時のユダヤ教が反対し、イスラエルの国が反対した基準を越える期間に該当します。

3   一九六八年からは、家庭的な十字架を背負っていく時です。六千年の歴史は、個人的に十字架を背負ってきました。しかし、家庭的に十字架を背負っていくべき期間が残っているというのです。

今までその十字架を、誰も背負おうとしませんでした。イエス様も、民族と国家に代わる十字架を背負い、家庭を築いて、世界に向かって進まなければなりませんでした。しかし、民族と国家の十字架を背負って亡くなられたので、再蕩減しなければならないのです。それによって、個人的な十字架の道、家庭的な十字架の道が残るようになりました。このように、六千年の歴史が険しい峠の道を経てきたので、両面的な蕩減をしていかなければなりません。

これをするために、お父様は一九六〇年まで、個人的な十字架の道を歩んできたのです。この十四年路程は、ヤコブが歩んだ十四年路程と同じ期間です。その期間を越えてこそ、家庭を築いて、その家庭の四位基台を中心として地上に定着し、伸びていけるのです。

Luke Higuchi