真の父母経 第104話

第六節   清平聖地の開発と修練所の建設

清平聖地の選定

真の父母様は、一九六〇年代から人種と文化、宗教、国境などを超越して、世界の人々が共に集まって暮らす天一国共同体モデルを立てるため、京畿道加平郡にある清平湖一帯を中心に、多くの精誠を注がれた。特に、釣りとテント生活を通して精誠を尽くされながら清平一帯の土地を購入し、摂理の基盤とされた。真の父母様は、一九七二年七月十日、清平修練所の前の蔚業山(ウロプサン)の頂上から、この一帯二十一ヵ所の名前を新たに命名された。裏山である天聖山(チョンソンサン)は本来、長楽山(チョンナクサン)と言い、塀風(びょうぶ)の形をしている。真の父母様は、山頂から少し下った所にある平地を本殿聖地と定められた。今日の天正宮博物館が建てられた所である。周辺の山野は、修練所を中心に牡丹の花の形をしており、復帰されたエデンの園を象徴している。

1   お父様は、韓国全土の山河をすべて回ってみました。一九六〇年代に皆さんを全国各地に配置して、全国の名山をすべて踏査してみたのです。統一教会の錨をどこに下ろすか、この基盤をどこに築くかを念頭に置いて、踏査しました。良い場所は、必ず湖を挟んでいなければなりません。しかし、東海岸はソウルからあまりにも遠いのです。西海岸は都市が集中していて、干満差が非常に激しく、海水が引けば干潟になり、また泥水なので良くありません。ソウルから(車で)三十分くらいの場所を探し求めたところ、雪岳面の松山里(ソンサルリ)を選ぶことになりました。その地域は本当に素晴らしいのです。私が清平地域で最も良い場所に定着したのです。

2   お父様がここ清平に来てみると、良い場所でした。ですから、ここに定着して祈り始めました。私が一生の間、精誠を捧げて祈る道をつくり始めたのです。どんなグループでも、最高のグループは、精誠の基盤の上に立てられています。このようにして、独りで蔚業山の頂上に登って祈ったのが、ついきのうのことのようです。私は、一握りの基盤しかない人ですが、決心したことで、今までできなかったことはありませんでした。一度やると言ったことは、必ず成し遂げてみせるのです。

3   お金は、国家的、世界的で、天的な内容を中心として使わなければなりません。そのように考えるので、父母様は清平に土地を買っているのです。そこに土地を買うのは、世界のためです。世界のために働ける基盤を築いておくために、清平に土地を買うというのです。今や民族時代を過ぎ、漸進的な世界時代の前に立ったので、この時代のための国際的な教育機関を造らなければなりません。ですから、堂々としているのです。そのためには、いくらお金を使っても良心の呵責を受けません。

4   清平の地は、世界の祖国の地、全人類の心情的故郷の地にならなければなりません。天地が仰ぎ得る勝利的創造理想を完成させ、天地が連結されて神様の心情を解怨成就できる地になるだけでなく、世界の故郷の地になり得る神聖な土地になることを祈ってきたのですが、これが本格的に出発できる時点に達しました。ですから、この周辺の八百万坪の土地を買ったのです。

山とこの周辺の土地は、私たちの未来の故郷のための地です。すべての信仰者の故郷になり得る基地になっています。今、世界百八十五ヵ国に私たちの基地がありますが、父母様の願いは、ここをその百八十五ヵ国のあらゆる歴史的伝統を展示できる歴史的な基地にすることです。それだけでなく、この基地で各国の文化を背景にした伝統を新たなものにすることができ、天との関係をどのように結ぶかを教える修練所、教育場所を用意するのです。そのようにするために準備した土地として祈っていたことが、そのまま歴史的な事実として連結され得るようになりました。このような世界版図を統一教会がもったことは、驚くべき勝利の結果であると考えているのです。

5   お父様は、よく清平に行きます。待っている人がいるから行くのではありません。誰もいないのです。私が昔、この道を築きながら苦労したその場所が慕わしく、山野が慕わしく、聞こえてきた風の音と鳥の声が慕わしくて行くのです。その流れいく自然の摂理を通して、天の感動的な世界に接触したその気分が慕わしくて行くのです。その慕わしさは、死ぬまで誰も抜き取っていくことはできません。

困難な立場で、おなかをすかせた立場で耐え、瞑想をしながら天と共に絆を結んだ、その時間が慕わしいというのです。吹いてくる風の流れを感じるとき、それが過去の認識を現実の生活圏内において促してくれるからです。過去に感じたそれが刺激的な動機になったとすれば、現実では生活的な動機として顕現し得る立場になるので、それを好むのです。

6   父母様は、清平の地形が良いことを知り、土地を買い始めました。清平湖を中心として、私たちの修練所を造る場所を準備したのです。今、修練所があるその場所は、本来、家を建てられる敷地が全くありませんでした。そこには墓が一つと、桑の木が十五本くらいしかありませんでした。清平全体の山野を回りながら見てみると、そこが中央地帯でした。ですから、仕方なくそこにテントを張り、土地を買い始め、修練所を建てたのです。

今まで土地をたくさん買ったのは、今後、ここを国際修練所、世界の若者たちが来て修練を受けられる世界本部のような所にしようという計画があったからです。ここにあるそれぞれの谷間を、アメリカ村、イギリス村、ドイツ村などに定めるのです。そのようにしておけば、世界の人々がここを誇り、仰ぎ見る、一つの観光地にもなるだろうと考えます。

7   清平は、すべてのものが完全に定着して、新しい出発ができる所です。その名称もそうです。清平の「清」は清いことを意味し、「平」は平らなことを意味します。すなわち、清平は清く平らなことを意味するのです。ですから、すべての整地作業ができているので、設計して柱さえ立てればよいのです。いつでも出発できるというのです。

8   清平修練所の前を右に渡っていけば、平らな土地に私たちの別荘があります。その別荘は「天留荘(チョニュヂャン)」というのですが、その裏に行って見れば、本当に絶妙な所です。この地域全体が牡丹の花のようになっているのです。

平壌に牡丹峰(モランボン)があるでしょう。その牡丹峰はなぜ有名なのでしょうか。牡丹の花を見ると、花びらにぐるりと囲まれたその真ん中に、黄色(の雄しベと雌しベ)が調和をつくり出すようにして存在しています。それは、種を産む所だからです。平壌の牡丹峰は、そのような地形なので有名なのです。

それと同じように、この地域は、天聖山を中心としてそのようになっています。この山を越えると、全く風情がなく、登って見てみれば、好き勝手になっています。しかし、天聖山を塀風として、前に連結されているすべての山野が、牡丹の花びらのようになっているのです。

9   清平修練所の前庭から眺めると、川の水が流れているのを感じることができません。川の水がどこから流れてきて、どこに行くのか分からないのです。川の水が入ってくる道も分からず、出ていく道も分からず、湖のように思えるほどです。そして、この修練所から見下ろせば、それこそ絶景です。ここは、湖畔と山野が調和した美しい場所として、世界に誇る価値があります。このような景色の良い所に来て修練をしてこそ、修練生たちが山を眺めても、庭を眺めても、高尚な考えをもつようになるのです。夕暮れの山頂、一番高い峰に沈んでいく太陽や、明け方、高い峰に昇る太陽、その中を飛んでいる鳥、その中で働く人々の風景など、このようなすべてが調和するようになるとき、思わず見とれて夢想圏内に入っていきます。空想したり、夢を描いたりもするというのです。これによって、若い人々の気迫が大きく上昇します。

ですから、未来において一度、この水に乗って大西洋を渡り、あの山を越えてヒマラヤ山脈とインドを通過するなど、このようにいくらでも連想できるあらゆる材料になるのです。人々が景色の良い所を好むのは、新しいアイデア、新しい夢を描けるからです。飛んでいく鶴が一幅の絵のように調和したり、青い湖に小舟が一艘浮かんでいたりしても、詩を詠むようになります。また、うれしくなれば思わず立ち上がり、拍子を合わせて踊りも踊るのです。そのようにできる環境的条件を備えた所が清平修練所です。

10  清平修練所一帯を見れば、本当に形が整っています。この修練所の裏山全体を「天勝台(チョンスンデ)」と名づけました。そして、裏山は本来、「長楽山」というのですが、私が「天聖山」と名づけました。「天聖山」をはじめ、三つの峰があるのですが、その真ん中の峰は「聖」の字を書いて「天聖山」、右側の峰は「成」の字を書いて「天成山」、左側の峰は「城」の字を書いて「天城山」としました。

三つの「チョンソン山」は、それぞれ「神聖」を表し、「完成」を表し、「保護」を表すのです。この三つの「ソン山」を定めるとき、一里以内にこの山よりも高い山があってはいけないと考えました。さらに高い山がある山脈が、その山並みを伸ばして長楽山を経ていくようになっていてはいけないというのです。それで、お父様が登ってみると、長楽山が高々と直線になっていたというのです。それこそ、本当に形が整っていて、塀風のようになっていました。

そして、ここの水は、一日に何百回と、いつでも変化します。これは造化を意味します。造化というのは、希望を意味し、無限を意味し、全体の繁栄を意味するのです。そのような点から見るとき、この清平修練所の位置は、非常に明堂(ミョンダン)(風水説でとても良いとされる敷地)だというのです。

Luke Higuchi