真の父母経 第276話
第二章 海洋摂理と海洋資源の開発
第一節 韓国を中心とした海洋摂理
野牧(ヤモク)と済州島に注いだ精誠
真のお父様は、教会の初期から水産事業に関心をもたれ、一九五九年七月二十日から始まった第二回全国伝道師修練会において、京畿道華城郡(ファソングン)梅松面(メソンミョン)野牧里(ヤモンニ)の池と海辺を中心として、魚を捕まえる方法を食口たちに教育し、訓練された。一九六三年六月二十六日には、仁川で船を造り、「天勝号」と命名され、一部の食口たちを漁労に送り出された。このように、野牧から始まった海洋摂理は、済州島と麗水を経て、巨文島にまで連結されたのである。
特に、真の父母様は、済州島を摂理的に重要な島と考えられ、造船所と養殖場、みかん農場を造られるなど、多くの精誠を尽くされた。また、済州島は、韓国の海洋の関門として、日本海と東シナ海、太平洋まで連結できる位置にあるため、海洋事業の要衝として開発する必要があると考えられた。さらに、西帰浦(ソグィボ)の沖合に位置する地帰島(チグィド)も、摂理的に重要な場所と考えられ、これを購入して釣り事業を計画された。
1 統一教会が最初に出発するとき、今後、水産事業を営むために、若者たちを連れて教育し、訓練をさせました。野牧という所に湿地がたくさんありました。そこには千年も生きている怪物がいるとか、一度入ったら出られなくなるなど、ありとあらゆるうわさがありました。
そこの池には、いないものがありませんでした。ありとあらゆるものがいたのです。野牧での修練を経た初期の食口たちの間では、雷魚を獲る方法はこうで、鯰(なまず)や鰻を獲る方法はこうだったと、どこに行ってもその話が出てくるのです。
2 野牧には池がありました。そこには水草がたくさんあって、水中に生息する蛇が、水の中に入らずにその草の上を行ったり来たりするのです。
また、その池がどれほど深いのか、深さがよく分かりません。そこにコウホネが自生しているのですが、コウホネは三尋(約五・四メートル)の深さからでも葉が出てきます。コウホネがあるからといって、そこが浅いと考えることはできないのです。その池の魚を獲るための網を作りました。その網が三百メートルにもなるのですが、百メートルずつ網を張ると、そこにいる魚がすべて掛かるのです。
(獲った魚を)まとめてトラックに載せて持っていき、村の人たちに「持っていってください」と言っても、「そこで獲ったものは食べない」と言って、持っていかないのです。鮒(ふな)、鯉、雷魚、鯰、鰻があふれるほどいたのですが、それをまた放してあげたことが忘れられません。
3 お父様が昔、野牧の池に行って、服を脱いで泥まみれになったことが思い出されます。その時、そこに巨大な網を張りました。水が入ってくると、その中に魚が入ってきて、どっさり獲れるのです。
その時はみな、顔が泥だらけになり、年を取った人も若者も全く一緒でした。みな真っ黒で目だけパチパチさせながら、日が沈むのも忘れて、魚を獲ろうと無我夢中でした。その当時、皆が忘れることのできない思い出となりました。国を思い、み旨を思いながら過ごした、忘れることのできない生涯の一場面です。
4 一九六三年に韓国で船を造ったのですが、その名が「天勝号」でした。天が勝利する、神様のみ旨を成就するという意味です。「天勝号」を造り、「世界の海を占領しよう」と語ったのです。
しかし、誰もが船に乗るのを嫌いました。「このように波が荒れているときは出られません」と言うのです。漁夫がそのようなことを言っていられますか。命懸けで出ていかなければならないのです。私は漁夫になりました。雨が降っても雪が降っても、意に介しませんでした。夕立があっても釣りをしました。雨が降っても、夕方までしたのです。
5 お父様は、一九六三年に船を造りました。それが「天勝号」です。船の名前を「天勝号」としました。それには、すべて意味があったのです。天が勝利したという基準を立てるために、そのように名付けたのです。
アメリカに来て、一九七三年から船を造り始め、今に至るまで船に乗っています。アラスカでは、夜も昼も船に乗りました。一片丹心、船に乗ったのです。
6 お父様は、一九六〇年代に入って、韓国の有名な山はすべて回りました。狩りをしながら歩き回ったのです。陸地を訪ねて回ったのです。その次には、海に行って魚を釣りました。
本来、審判を受けたのは陸地です。魚は審判を受けませんでした。ですから、陸地のすべての蕩減を消すことができるのは、審判を受けていない魚たちです。それらは、神様が造った本然の姿のままで存在しています。それを愛さなければなりません。そのために、二〇〇〇年まで、二十七年以上の期間、海で船に乗る生活をしました。
水を訪ねていったのです。韓国で船を造ったのが一九六三年でした。それを海洋事業と連結するのです。その時のみ言を聞いてみれば分かるでしょう。船の名前は「天勝号」だったのですが、天が勝つという意味です。
船が必要なのは、陸地と連結するためです。海を占領するために、「天勝号」から始めて、海洋事業と造船事業を継続していくのです。
7 お父様は、時間さえあれば済州島に行って精誠を尽くしました。済州島は、大韓民国で、忠臣たちを島流しにした島です。歴史を否定することはできません。済州島に行き、帰ってこなければなりません。「チェヂュ(済州、祭主)」と言えば、「祭祀」を行う「祭司長」という意味です。
また、「渡っていった世界(「済」の字には「わたる」という意味がある)」、すなわち「復帰された世界」という意味にもなります。「チェヂュ」の「ヂュ」は、「州」の字です。渡っていって、エバを探し求めるのです。神様が陸地を離れ、島国を訪ねていって、再び帰ってくるのです。ですから、この島を中心として、一生の間、私は精誠を注ぎました。
8 「済州島」と言えば、「祭祀を行う主人(チェヂュ:祭主)たちが暮らす所」と言うことができます。「祭主」たちが集って暮らす所なので、神聖な島です。済州島の人たちは、海神によく仕えます。漢拏山(ハルラサン)の山神にも仕えるのです。神様に仕える人々が、神様に祭祀を捧げるときは、精誠を供えて準備します。そこにも、一人の主人がいます。祭祀を執り行うときは、祭主の言葉を、絶対に信奉しなければなりません。他の人の言葉を聞いてはいけません。
私が済州島について関心をもったのは、なぜでしょうか。済州島は、韓国の最南端に位置しています。陸地が男性を意味するとすれば、済州島は女性を意味します。ですから、島の人は、いつも陸地を慕いながら暮らすのです。いつも陸地を思慕するというのです。
陸地を思慕する人たちは、寂しい人たちです。この寂しい人たちは、どこで慰労を受けるのでしょうか。自分たちが自由に生きていける道、自分たちの愛をつないでくれるものに慰労を受けるのです。ですから、すべてのものがいつでも自由になる陸地と連結されることを願うのです。
9 済州道に地帰島という島があります。地帰島を見て、「ああ、復帰の業がここから始まるのだな」と考え、その島を買いました。私たちの土地です。そこの海岸から百メートルだけ出れば、水深が深くなります。地帰島に行って、「白頭山(ペクトゥサン)天池(チョンヂ)の生命体をもってきて、この地帰島の地に植えれば、宇宙が新しい種として蘇生する。解放される」と考えました。それで、私が済州島を世界一の観光地にすることを考えたのです。
10 地帰島(チグィド)は、釣りをするのに最高の地域として知られています。ですから、地帰島にたくさんの人々が釣りをしに来るようにしなければなりません。そのようにしてやって来た人々に、私たちがボートを貸してあげ、何の魚が釣れるのか教えてあげるのです。「ここは鱸(すずき)が釣れ、鯛が釣れる」と話してあげるのです。そうすれば、釣り人たちは、他のものも釣りたいと思います。
専門家たちには、自分の好きな魚があります。地帰島の周辺には、あらゆる種類の魚がいます。ですから、船で案内するのです。そのようになれば、船は船で活用することができ、お客さんたちは、私たちがホテルを造るとすれば、そこに泊めることができます。
そのためには、ここを開発しなければなりません。そのように始めなければ、事業にならないというのです。ですから、(そのようにして開発することが、)地帰島が釣り場としてよみがえることのできる最良の道だと考えるのです。
11 済州島は、韓国の海洋関門として重要なアジアの要所になっています。東海(日本海)と東シナ海に連結し、太平洋まで連結できる位置にあるので、軍事要塞地として非常に重要な所です。そして、摹瑟浦(モスルボ)の横の港は、世界的に有名な軍港になる水深だと言われています。そのようになり得る所です。そのようなことに鑑みるとき、済州島は今後、香港のように国際自由都市としての機能を果たすことができるのです。ですから、事業基盤を築くためには、釣り場から始めなければならないというのです。
12 済州島をアメリカやヨーロッパのどんな観光地よりも次元の高い観光地にしなければなりません。漢拏山が問題ではありません。漢拏山が母の体だとすれば、そこに子供たちが寄り添わなければなりません。それが摂理です。
漢拏山は女性を象徴します。ですから、息子、娘が母親のお乳を吸うのと同じようにならなければなりません。そこには、惜しむものがないというのです。ですから、アジアで最高の観光地にすることができます。そのようになれば、日本や中国、ソ連も動かすことができます。そのようにできる基地が済州島です。
ここは、これから観光地になるのです。釣り場だというのです。釣り場は、済州島だけではありません。高速艇に乗って出ていって、甘鯛でも何でも釣ることができ、日本近海にまで釣りに行けるのです。中国近海までそのようにしておけば、どのようになるでしょうか。「済州島に観光に来てはいけない」と言っても来るのです。日本人はもちろん、中国人、ロシア人も引っ張り出すことができます。このような基地を造ることができる魅力的な場所が済州島なのです。